この四枚が、蟻鱒鳶ルの最初のプレゼンだった。
石山さんに引っ張り出されたのであった。
他にもこのW.S.では、様々なことを学んだ。
なんというか、岡ビッグバンであった。
あと、ダーマト(紙で巻かれた太い色鉛筆)重要だったよな。
この頃図面描くのは、いつもダーマト。
グリグリ描いてた。
最近はダーマト使うこともほとんど無いが、今の蟻鱒鳶ルには、ダーマト感があるなと思う。
この絵、チョチョイと描いたはずなのに、なかなかではないか。
流れる錆まで描けている。
「蟻鱒鳶ル」読みは「アリマストンビル」、友人マイアミが名付け親です。2005年の着工以来、沢山の友人達に手伝ってもらいながら、植物のように、ゆっくりゆっくり出来ている小さなビルです。 蟻鱒鳶ルのコンクリートは、上質の砂とジャリを使い、水セメント比は37%、少しずつの量を箕で丁寧に型枠に入れ、一週間以上水をかけながら養生します。出来たコンクリートはギュッと詰まった感じです。ある研究者には「200年以上保つ」と言ってもらえました。 200年!!想像も難しいとても遠い未来です。 「蟻鱒鳶ルを200年残す価値のある建築にする」事は、凡才の僕にとって身震いし、足のすくむ仕事です。 でも、もう信じているんです。 蟻鱒鳶ルの在る未来を。
2015年3月29日日曜日
三枚目
石山修武さんという怖いへびに睨まれ、ヘボ岡蛙がフンガーっと必死になって、自分でも気づいていなかった心の内奥にしまっていた必殺技を噴射したという感じだったのだ。
今までに無かったくらいに素直に考え切れた。
今までに無かったくらいに素直に考え切れた。
二枚目。
建築現場で働いている時に、フロアーが完成して上に上がるだけでワクワクした。
新しい風を感じ、新しい景色を見た。
出来たてホヤホヤのその場所が
踊りをやっていた僕には舞台に思えた。
舞台に立つように、そこを特別な場所とし、新鮮な気持ちで、真摯な心で、その場所に向き合い、作る。
何かを作り、その悦びをエネルギーとし、イメージの源泉とし、次を作る。
新しい風を感じ、新しい景色を見た。
出来たてホヤホヤのその場所が
踊りをやっていた僕には舞台に思えた。
舞台に立つように、そこを特別な場所とし、新鮮な気持ちで、真摯な心で、その場所に向き合い、作る。
何かを作り、その悦びをエネルギーとし、イメージの源泉とし、次を作る。
一枚目。
ひっくり返した!などと書いたけど、そんなスパッとはしてなかったんです。
透明の建築を描いたのが、たぶん1997年あたり、
落ち込んで、ダメだ、こんなじゃとは思いつつも、他のアイデア無し。
看板に住もうと絵を描いたのは1999年あたりか、、。
三田に土地を買ったのが2001年の秋。
そんな頃だった、
石山修武さんのトコロから「都市住宅を考える」というW.S.の案内がきた。
石山さんを凄い尊敬してるんだけど、同じくらいビビっていた。
でも、あまりのタイミングの良さに「行かねば」と思いお金をかき集めて腹を決めて行くことにした。
すぐに課題が出た「お前らが本気で作りたいと考えているのを描いてみろ!」
ザッパリした課題だった。
その頃の発想は、岡画郎のようなモノを作ろう、、だけだったと思う。
わずかな成功体験にぶら下がっていた。
建築の形などは単純な四角で良い。ようは中身勝負だ。岡画郎のような面白いソフトが考え切れれば、、。
でも、石山さんにその昔、岡画郎のことを「くだらねー、すぐやめろ!」などと言われたことがあったので、その(手)は使えない。
石山さんの前でプレゼンをしたことが、それまでに数回あったけど、いつも蛇に睨まれた蛙状態、アワアワしながら、声うわずって、ボロボロのプレゼンをするだけだった。
そんな状況だったから、僕なりに必死で考えた。
嘘がないように、、、自分がやってきたことを信じて、、、。
そして、今までに、考えてもみなかった建築の絵がスルスルっと出てきた。
本気で作ろうという思いは小さかったと思う。
ただ、「石山さんに怒られないかも、、」みたいな。
これは、その時のプレゼンで使った絵、捨ててなかった。
透明の建築を描いたのが、たぶん1997年あたり、
落ち込んで、ダメだ、こんなじゃとは思いつつも、他のアイデア無し。
看板に住もうと絵を描いたのは1999年あたりか、、。
三田に土地を買ったのが2001年の秋。
そんな頃だった、
石山修武さんのトコロから「都市住宅を考える」というW.S.の案内がきた。
石山さんを凄い尊敬してるんだけど、同じくらいビビっていた。
でも、あまりのタイミングの良さに「行かねば」と思いお金をかき集めて腹を決めて行くことにした。
すぐに課題が出た「お前らが本気で作りたいと考えているのを描いてみろ!」
ザッパリした課題だった。
その頃の発想は、岡画郎のようなモノを作ろう、、だけだったと思う。
わずかな成功体験にぶら下がっていた。
建築の形などは単純な四角で良い。ようは中身勝負だ。岡画郎のような面白いソフトが考え切れれば、、。
でも、石山さんにその昔、岡画郎のことを「くだらねー、すぐやめろ!」などと言われたことがあったので、その(手)は使えない。
石山さんの前でプレゼンをしたことが、それまでに数回あったけど、いつも蛇に睨まれた蛙状態、アワアワしながら、声うわずって、ボロボロのプレゼンをするだけだった。
そんな状況だったから、僕なりに必死で考えた。
嘘がないように、、、自分がやってきたことを信じて、、、。
そして、今までに、考えてもみなかった建築の絵がスルスルっと出てきた。
本気で作ろうという思いは小さかったと思う。
ただ、「石山さんに怒られないかも、、」みたいな。
これは、その時のプレゼンで使った絵、捨ててなかった。
2015年3月28日土曜日
2015.3.28思い出しメモ
当然、世にある全ての建築を知らないんだけど、
僕が想像し設計するような建築は必ず世界の何処かにあるのは間違いないという確信を持った。
街を歩いてるだけでも、そういうモノにいつも出会う。
、、、この形、俺想像したことあったな、と。
ならば、もー設計しないで良いやと思った。
やり尽くされてるじゃないか、と。
それが、絶望というモノだった。
そこで食い下がって考える力は無く、すっ飛ばした!
設計=建築というのがおかしな話しだ。
建築の中のたかだか一手法が設計ってモノなはずで、設計ってのが無くても建築には至れるはず。
そっちを掘ってみたくなった。
僕が想像し設計するような建築は必ず世界の何処かにあるのは間違いないという確信を持った。
街を歩いてるだけでも、そういうモノにいつも出会う。
、、、この形、俺想像したことあったな、と。
ならば、もー設計しないで良いやと思った。
やり尽くされてるじゃないか、と。
それが、絶望というモノだった。
そこで食い下がって考える力は無く、すっ飛ばした!
設計=建築というのがおかしな話しだ。
建築の中のたかだか一手法が設計ってモノなはずで、設計ってのが無くても建築には至れるはず。
そっちを掘ってみたくなった。
2015年3月25日水曜日
最悪の絵。
蟻鱒鳶ルの土地を買う少し前、山手通り沿いに競売で良い土地が出た。
良いのが出ると、法律当たってどれぐらいの物が建つのか、図面描いてちあきに見せて、二人で考えた。
大きな道沿いだから上の方に住もうか、排ガスも騒音もマシだろう。下の方は、当面何も無くていいや、お金が出来たら部屋作って貸すか、。
問題は上だ。
大通り沿いなんだから、全面看板にしよう!
言わば、看板に住む家だ!
*少し前に、芸術家の川俣正さんが看板に住んでて、伺った事があったので、それを表現とかじゃなくリアルにいこう、、などの下心。
*その頃、身体がボロボロで働けそうになかったので、煙草の販売許可もらって、この看板の収益と合わせて、どうにか生きていこう、、という思いも、。
でも、一番の理由は、デザインするという行為から逃れる事だった。
「透明の建築」は、ちょっとカッコ良いけど、僕のその頃の心は、ホント情けなくって、誰かのデザインした看板に暮らせば、デザインすることから逃れれる、、という、、
もう、MAX自信なし、ガタガタの逃げまくり、絶望の果ての絵。
自分の弱さを隠すような、POPな元気な絵。
辛かった。
良いのが出ると、法律当たってどれぐらいの物が建つのか、図面描いてちあきに見せて、二人で考えた。
大きな道沿いだから上の方に住もうか、排ガスも騒音もマシだろう。下の方は、当面何も無くていいや、お金が出来たら部屋作って貸すか、。
問題は上だ。
大通り沿いなんだから、全面看板にしよう!
言わば、看板に住む家だ!
*少し前に、芸術家の川俣正さんが看板に住んでて、伺った事があったので、それを表現とかじゃなくリアルにいこう、、などの下心。
*その頃、身体がボロボロで働けそうになかったので、煙草の販売許可もらって、この看板の収益と合わせて、どうにか生きていこう、、という思いも、。
でも、一番の理由は、デザインするという行為から逃れる事だった。
「透明の建築」は、ちょっとカッコ良いけど、僕のその頃の心は、ホント情けなくって、誰かのデザインした看板に暮らせば、デザインすることから逃れれる、、という、、
もう、MAX自信なし、ガタガタの逃げまくり、絶望の果ての絵。
自分の弱さを隠すような、POPな元気な絵。
辛かった。
2015年3月23日月曜日
ひっくり返した事
立派そうな言い草で上手く誤魔化していた。
必然性の無い恣意的な表現をしないやり口を探す、などと言っていた。
そして三十過ぎの頃に、透明の建築を描いた。
褒められもした。
やっとこれくらいに筋が通った絵が描けたと、
「建築」に手が届いたんじゃないかと胸を撫で下ろした。
その頃は、様々なことで絶望していたから本当にうれしかった。
やっと小さな光にたどり着けたと思えた。
でも、長いこと考え続けた末にたどり着いたその絵には、まるで、ときめかなかった。
元気を吸い取られるような絵だった。
あ、ぁ、、
建築を作りたいと考えこの道に入ってきたはずなのに、必然性の無い表現を恐るあまりに、俺は、建築を消してしまった、、なんて馬鹿なんだ、、。
十代の頃に考えていた「世界マップ」によると、(真逆も可)であった。
フラーも素晴らしいが、真逆のガウディも素晴らしい。
岡理論によると、ひっくり返しは可能であった。
透明の建築をひっくり返すぞ。と決めた。
そして、よくよく見渡すと、透明な建築の方にはワンサカと人が集まっている。
こっちはこの人達に任せておけば大丈夫。
「世界マップ」によると、イビツな球体から、まん丸な球体を目指すべし。となっている。
ならば、不人気な側に進むべし、だ。
僕は、それまで考えてもいなかった側に、転向することにした。
見知らぬ世界と思っていたけど、「現場仕事」と「おどり」が案内してくれた。
「作ることの悦び」という高山建築学校で耳にしていたフレーズも思い出した。
子供の頃のワクワクした気持ちとかまで思い出した。
考え続けた世界の真逆の裏側にやって来たのだから、理屈も一個一個ひっくり返す。
恥ずかしいー!!と思っていた。
形を作る。
重箱の隅までほじって考え抜いて、建築を考える感じだったのに、
図面で考えない。
、、、、、
昔からいる住人のような顔しちゃいけない。
突然引っ越して来た異邦人のような新鮮な目で、こっち側の世界を観察しながらやっていくべきだ。そうしたらもう少し思考が深く掘れるはずだ。
必然性の無い恣意的な表現をしないやり口を探す、などと言っていた。
そして三十過ぎの頃に、透明の建築を描いた。
褒められもした。
やっとこれくらいに筋が通った絵が描けたと、
「建築」に手が届いたんじゃないかと胸を撫で下ろした。
その頃は、様々なことで絶望していたから本当にうれしかった。
やっと小さな光にたどり着けたと思えた。
でも、長いこと考え続けた末にたどり着いたその絵には、まるで、ときめかなかった。
元気を吸い取られるような絵だった。
あ、ぁ、、
建築を作りたいと考えこの道に入ってきたはずなのに、必然性の無い表現を恐るあまりに、俺は、建築を消してしまった、、なんて馬鹿なんだ、、。
十代の頃に考えていた「世界マップ」によると、(真逆も可)であった。
フラーも素晴らしいが、真逆のガウディも素晴らしい。
岡理論によると、ひっくり返しは可能であった。
透明の建築をひっくり返すぞ。と決めた。
そして、よくよく見渡すと、透明な建築の方にはワンサカと人が集まっている。
こっちはこの人達に任せておけば大丈夫。
「世界マップ」によると、イビツな球体から、まん丸な球体を目指すべし。となっている。
ならば、不人気な側に進むべし、だ。
僕は、それまで考えてもいなかった側に、転向することにした。
見知らぬ世界と思っていたけど、「現場仕事」と「おどり」が案内してくれた。
「作ることの悦び」という高山建築学校で耳にしていたフレーズも思い出した。
子供の頃のワクワクした気持ちとかまで思い出した。
考え続けた世界の真逆の裏側にやって来たのだから、理屈も一個一個ひっくり返す。
恥ずかしいー!!と思っていた。
形を作る。
重箱の隅までほじって考え抜いて、建築を考える感じだったのに、
図面で考えない。
、、、、、
昔からいる住人のような顔しちゃいけない。
突然引っ越して来た異邦人のような新鮮な目で、こっち側の世界を観察しながらやっていくべきだ。そうしたらもう少し思考が深く掘れるはずだ。
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