ひっくり返した!などと書いたけど、そんなスパッとはしてなかったんです。
透明の建築を描いたのが、たぶん1997年あたり、
落ち込んで、ダメだ、こんなじゃとは思いつつも、他のアイデア無し。
看板に住もうと絵を描いたのは1999年あたりか、、。
三田に土地を買ったのが2001年の秋。
そんな頃だった、
石山修武さんのトコロから「都市住宅を考える」というW.S.の案内がきた。
石山さんを凄い尊敬してるんだけど、同じくらいビビっていた。
でも、あまりのタイミングの良さに「行かねば」と思いお金をかき集めて腹を決めて行くことにした。
すぐに課題が出た「お前らが本気で作りたいと考えているのを描いてみろ!」
ザッパリした課題だった。
その頃の発想は、岡画郎のようなモノを作ろう、、だけだったと思う。
わずかな成功体験にぶら下がっていた。
建築の形などは単純な四角で良い。ようは中身勝負だ。岡画郎のような面白いソフトが考え切れれば、、。
でも、石山さんにその昔、岡画郎のことを「くだらねー、すぐやめろ!」などと言われたことがあったので、その(手)は使えない。
石山さんの前でプレゼンをしたことが、それまでに数回あったけど、いつも蛇に睨まれた蛙状態、アワアワしながら、声うわずって、ボロボロのプレゼンをするだけだった。
そんな状況だったから、僕なりに必死で考えた。
嘘がないように、、、自分がやってきたことを信じて、、、。
そして、今までに、考えてもみなかった建築の絵がスルスルっと出てきた。
本気で作ろうという思いは小さかったと思う。
ただ、「石山さんに怒られないかも、、」みたいな。
これは、その時のプレゼンで使った絵、捨ててなかった。
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