2014年12月16日火曜日

随分昔、磯崎新さんの講義を聴いた

何年前だろう、15年くらいか、。

話しては、止まり、悩み、又少し話す。みたいな感じだった。
「自分が今悩んでいる先端の話をしてくれている」と感じた。
この感じがとても良く、
(もう俺は答えを知ってるぜ、自信100%です!)みたいな喋り方をする人がハッキリとイヤになった。そういう人ほど声大きいし、。
東京にニョキニョキ聳える超高層のデザインなど、いかにもそんな感じ。
経済と効率を考え、ちょっと今風にカッコ良くしてみました、バッチリでしょ!!
そのぐらいの、思考・デザイン、
残念通り越して腹立たしい。

僕は、デザインについても、こういう感じ(その人の最先端の悩みが現れ、それでも進み続けてるような、、)が可能なのじゃないかと、あの時から頭の隅に置いている。

数年前、磯崎新さんの講演会を聞いていた。
「計画という概念が嫌いだ」とおしゃっていて、
おーっ!と思った。磯崎新を勉強せねばと思った。(でも、数年経っても、1ページの文章も読めてない、。)

で、昨日、桑沢デザイン研究所で、トーク終えて(磯崎さんのことなど話さないのだけど)、質問タイムになり
「おそらく、磯崎さんは、岡さんのやっていることを、全部一度頭の中で考え、やり、無理だ、あり得ないと考えた、、。」という話しが出た。

ダラダラと考え続ける事は可能でも、形にするということは一度思考を止めて、流れを切断しなきゃいけない、。

僕も、考えた。
モニョモニョした思考を「言葉」という形式で表現する事は、すでに、モニョモニョの思考を切断している事であるはずだ。
それでも、思考の大きな流れは切断しないように、小さく小さく切断しながら、言葉にしていく事が可能なように、形も作っっていけるだろう、と。

考えただけだと「無理だ」となるかもしれないけど、
作る行為と、重ねていけば、ミラクルな新たな道筋も見つかろうと。
蟻鱒鳶ルは、こういう風に考えスタートしたんです。

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