2014年6月6日金曜日

高山建築学校2014参加者募集中!!

「今年の高山の参加者募集のチラシの文章、岡さん書かなきゃダメです」
「岡!ステートメントとして書けよ、宣言文だ!」
とだいぶ前から皆に言われていて、文才激低の僕が数ヶ月ウンウン言ってやっと書いた文章です。読んでみて下さい。
それと、中村さんがホームページも作ってくれているので是非http://tass20xx.web.fc2.com
建築への希望を捨てずにがんばっている人!
どうか、どうか高山建築学校へ来て下さい!


「作ること」には答えすら無い。
そんな超難問にどう立ち向かえば良いんだ??
そこには素材のこと、作業のこと、環境のこと、様々なことが抽象化されず具体のままゴロゴロとある。
「モノを産み出す事とは?」など哲学的大問題も転がっている。自分の肉体とも向き合わなければならない。
「作ること」
こんなチョー難問に人生ぶっこむなんて!!!

スピードを旨としたモダニズムは、誰もが超難問「作ること」の深みにハマらないように、スムーズに建設が進められるように徹底し考えられた。
その中でも設計者と「作ること」を切り離すことは最も大きな効果をあげたのだと思う。(設計者と施工者の中間にあり、とても大切であったはずの「装飾」を「罪悪」と烙印を押し排除しちゃったり、、。)
建築を無理矢理分断し、考えることこそ重要だと煽り、「作ること」など劣位の問題として端に追いやる。
経済とタッグを組み、効率を武器にアッという間に世界制覇だ。
大ブームが去った後も不幸な分断だけはダラダラと続く。
分断された当然の結果として建築は力を失い、最早経済の奴隷と成り果てた。

「設計」は「思考ゲーム」に、「施工」は「つまらない肉体労働」にと最悪の形となり今に至ってしまっている。

でもそろそろこの不幸過ぎる分断をやめ「建築」を一つのこととして捉え直す時期に来たのじゃないか?

僕は「作ること」が「悦び」に繋がり、更に「希望」へと繋がっている事を知っている。そのことが明るく伝播することも知っている。
「作ること」とは、世界の生成に関わることだ。そこには虚無感や孤立から脱し、過去や未来へ繋がるヒントが沢山詰まっている。

一方、3Dプリンターとやらが出現した。
「思考」と「物」とが「手」を介さずに直接結びつき始めたことは、この時代にとても象徴的な出来事だ。
今までの流れだと建築のメインは確実にこっち側にダラける。
「作ること」をただの「面倒なこと」と片付けているお気楽クリエイター達にとっては夢のような時代だ。
ダメな職人に煩わされずにすむ、巨匠のように複雑で高度なデザインが私にも可能になると、頬を赤らめウットリしていることだろう。
僕は断言する。否定する。
見たこともない造形が出来たとて、そんなん大したことない!
それは本質から程遠い子供の遊びだ。
プリンターなんて、便利なコピー用として、模型用として使えれば十分だ。
命の道具としての建築には物足らなさ過ぎる。

僕らは、全身全霊を賭して建築に挑みたい。
小手先でチョチョイとどうにかしようなんてショボい了見は持ってない。

その為に、高山建築学校を、自らが持ちうる全ての力を注ぎ込み建築を作る事を学ぶ場とするのだ。
抽象化された資料を元に設計するような事ではなく、自然の中、具体のただ中に身を置き、全てを見、聞き、感じ、構想を練る。材料に触れ、道具に触れ、汗水垂らし、自らを晒し、捨て身で思考する。
まるごとの建築と、まるごとの自分のとっくみあいだ。
無限の情報の中で、時に思考は混乱するだろう。それでも一筋のわずかな光へ照準を合わせ、勇気を持って進む。それしか無いのだ。ビビっても進む。
仲間もいるんだ、大丈夫!
いつの日か、泥の中から自らの建築を掘り起こす事を夢見て!

建築を思考ゲームのように作るやり方にはもう飽き飽きだ。
つまらない労働の末に出来続ける何も感じない死体のような建築にはもうウンザリなのだ!

高山建築学校を拠点とし「建築を手で考えることを」学び直し、世界に伝える。

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