2012年9月28日金曜日

0928

木更津高専でちょっと講義、五十嵐先生、加藤先生と呑んで一人プラプラ海。
缶チューハイを呑んでいる。

2012年9月20日木曜日

だいたい

蟻鱒鳶ルを作り上げきる為に、もっと、もっと、ちゃんと考えなきゃいけない。
だいたい岡啓輔ってのは、根が楽観的でボンヤリな奴なので、自ら試練のありそうな方に進んで(リスク)と(望み)をはかりながら、(考える事)を重ねてやっていくようにしないと駄目なのだ。
考えざるをえない方に追い込んで行かなきゃアッという間にマッタリ、だら〜りなのだ。
だから試練OK、逆になかったらヤバイんです。

とりあえず、又一山乗り越えた感はある。ここから見ると今まで信じてきたモノが、より一層、強く明るくドーンと在ってくれる。
後半戦にさしかかっている今、この状態に至れた事は全くありがたい事だ。

2012年9月18日火曜日

0918曇り

作業員、岡(9〜5.5)
床の鉄筋とトメ枠
※床鉄筋は腰が辛い。

2012年9月17日月曜日

まだまだ暑いね

今、絶妙な位置にピカッと小さなハゲが出来ている。
美人さんからチョロッと鼻毛が出てるだけで造形的にかなりのインパクトがあるように、この極々小さなヘアスタイルもかなりのインパクトがある。


この夏はね、いろいろあったんです。高山の事など諸々。
いちいち書かないけど諸々。
その諸々と闘った証が、このピカッとハゲ。
蟻鱒鳶ルは後半戦だ。
諸々もまぁとりあえずはおさまってくれたけど、諸々の中の何かがラスボスになって僕に、胃に穴級の闘いを仕掛けてくるんだろう。
でも、負けません。

太平洋高気圧が下がったら一気に作業を進めるぜ!

0917時々雨

作業員、岡(9〜5)
鉄筋、床型枠
※おばさんが話しかけてきた。コンクリートについて鋭い質問をされるので「詳しいですね」というと亡くなられてた旦那さんがコンクリートの研究者だったとの事。
※写真は岡土建の床型枠。2バイ4を並べ、農業用ビニールを張る。隙間や継ぎ目はテープ貼り。

2012年9月10日月曜日

2012高山建築学校2

2012年の高山建築学校は明らかに新しい段階に入った。参加した多くの人もその事を感じた年だったと思う。

佐藤君が示してくれた「学校を作る」というテーマ。
倉田先生の死後「学校を作る」は手に負えないテーマとして諦め、もう忘れかけようとしていた。
でもそれを再び掲げてくれた。
そのテーマに沿う作品がいくつか作られた。
YJは倉の一階を片付け高山建築学校博物館MOTを作りはじめてくれた。
学生実行委員会も今までのように法政だけでなく、東大や早稲田なども加わり巾が出てきた。
高山建築学校として、もっと明確なモノを目指そうという意思も出てきた。
いつの日か、高山が世の中に示すべき価値のあるモノを描き、作り得たならば、それをもって堂々と世界にも出て行くはずだ。


吉江さんが帰り際に言った
「岡、サトミハッケンデンみたいだなぁ、意思のあるまっすぐな目をした若い人達が集まってきたな、、」
まったく。

蟻鱒鳶ルは高山建築学校と共に進んでいる。

蟻鱒鳶ルの後半戦に向かう為の大きな力を得て僕は戻ってきました。
試練とやらガリガリと乗り越えます。
オロオロもするけど。

2012年9月8日土曜日

2012高山建築学校

2012の夏が終わった。

この夏は、少し前まで「高山やめるべし」と言っておられた倉田家の人やOBが来る事になっていた。
高山は、ずっと綱渡りのようなギリギリの運営が続いていた。責められれば言い訳すら出来ないような失敗もある。

この春4年ぶりに行われた倉田家での話し合いで高山の存続はあらかた了承されていたものの、実際目にすれば又「やめよう」となるかも知れない。
僕はとても緊張していた。
でも心配は無用だった。
奥様は輝くような目で満面の笑顔で次々に質問される。僕が説明すると「素敵ねー素晴らしいことね」と何度も言われた。
倉田先生が亡くなられて13年。やっとやっとこの状況にこぎつけた。

13年かかった。
きっと普通の事だ。

2012年9月5日水曜日

蝙蝠

蟻鱒鳶ルの裏の方、なぜかカラスやイタチ?みたいな動物どもが集まる場所がある。
高山が終わり、そろそろそこの型枠にコンクリートを打とうと掃除をしていたらコウモリの乾いた死骸が型枠の中に落ちていた。
ここで食べようと運んできてポロリと落としちゃったのか?