2015年3月31日火曜日

春っすよ。動けーー!!

作ってる時は、何も問題点が見えないくらい入り込んでしまっていて、
でも、それはあまり褒められた事じゃないなと、、。
立ち止まってしまっている今、考えるチャンスだと思っているのだけど、それも、3月31日、今日までにしておこうと思う。
年度末!終わらせるなら今!
僕は作り始める前に何年もただダラダラと考え続けていて、そのダラダラ思考法により蟻鱒鳶ルの多くを考えたので、今もそうなってしまっても良いんのかも知れないけど、やめておく。

何かまだ、スパッとした考えには至ってないけど、
その手前あたりの、種みたいのは沢山見出せた気がしているし。

今年は花見をする気があまりなかった。
沈思黙考で過ごそうと思っていた。

でも、昨日、公園に行ってみたらガッと満開。
ここ数年少し元気がないなと心配していた老木にワッサと咲いてて、うれしくって、ダダッと準備して花見をやった。
今朝。飲み過ぎでグダッと起き、新しくはじまった「まれ」を観た。
デカイ事ばっかり言ってるダメな男が、自分に重なった。

まだ、世界の人が気づいていないスンゴイ新理論で建築を作るんじゃ〜!
とアホ岡が息巻いてるわけだけど、
やるべきことをちゃんとやって、地道にコツコツ、そして丁寧な思考!!
その先に、イケてる何かが見いだせればOK!

作り始めた時から、考えると不安になるので隠し続けていた問題が一つ。
それに気づけた。
それで十分。

明日から、基本は作業。

2015年3月29日日曜日

おにぎり

僕は、建築のデザインを考える時、おにぎりの事をよく考える。

「流線型のおにぎりデザインしてみました〜!」
「星型です〜!カワイイおにぎりでしょ、あ、形が壊れないように、ちゃんと固めるの入れてますよ〜!」

イヤでしょ!

適度に粘度があるご飯というモノを握り、壊れない形状にする。
手で握るから、三角とか、俵型になる。
手で握られたモノだから、手で掴んで食べやすい。
携帯食としてバッチリ!!
食べる時に、作ってくれた人の手を思ったりもする。

長く続いてきた、この鉄壁なデザインによくも浅はかに、新しいデザイン!などとぬかしやがったな!!


普通のおにぎりを超える難しさよ!!

そんな事をいつも思っているのです。

そこへ「おにぎらず」!!
ビビった。
イキナリ否定。握らない?
握らないからふかふかで柔らかい。
ノリで包むから具材がこぼれないから、カレーとか入れられる!!
作るのも簡単!!!

コレは、おにぎりデザイン界初の歴史的な革命でしょう!!

デザインという仕事は全て、「おにぎらず」くらいのことを目指してくれ!!


真新しいことしたさに、接着剤とか、新建材とか三流の技にバッカリ頼りやがって!!職人さんは身体壊しとんじゃー!!
シールやテープで何年保つと思っとるんじゃーー!!
過去の人たちの大切な仕事をせこいやり口で否定するなーーー!!!

先ずは、伝統構法リスペクト!


蟻鱒鳶ルのライバルはオニギラズです。
意識高い系です。

そして十日後。

不思議なことだ、こんな絵(四枚)、今までに一度も描いたこと無かったのに、こんな風に建築を考えたこと無かったのに、、石山さんは霊媒師とかで、そういう秘儀を使ったんじゃないのか?、、、自動記述のように、僕は、僕の思いを組み立てて、ごく自然と、スムーズにこの絵を描いた。

でも、この後はなかなか進まなかった。
構造が不安だから、最初に構造用の鉄骨を建てようと絵に描いているが(これは高山建築学校の発信キューブのマネでもある。最初の手がかりにしたかった)
直ぐに、これはダメだとなったし(甘えてる感じがしたのと、イキナリ業者が入る事が嫌だった)

コンクリートを、買うべきか、自分で練るべきか、そういう一つ一つを決める事にも長い時間をようした。
そういう決定が、全てデザインを決める。
四枚を描いてから、そういう作業に入っていったのだが、数年かかってしまうこととなった。

この絵は、四枚を描いた10日後くらい、W.S.の最後の日に出した絵。
コテンパンに言われた。あ〜ぁ、、ガッカリ、、みたいに言われた。

W.S.の指導をされていた難波和彦さん(建築家、当時東大教授)に言われた。
コレ130点あげるよ、十分でしょう、
だけど、君は、千点満点の問題意識を口にしている、普通誰も手を出さない領域だ、それで130点、、どうしようもないよ、、。

大き過ぎる、宿題をもらった。

ま、この絵、、ダメだなって、今の俺は思えてます!
(でも、何か良い点あるかも、、)

四枚目

この四枚が、蟻鱒鳶ルの最初のプレゼンだった。
石山さんに引っ張り出されたのであった。

他にもこのW.S.では、様々なことを学んだ。
なんというか、岡ビッグバンであった。

あと、ダーマト(紙で巻かれた太い色鉛筆)重要だったよな。
この頃図面描くのは、いつもダーマト。
グリグリ描いてた。
最近はダーマト使うこともほとんど無いが、今の蟻鱒鳶ルには、ダーマト感があるなと思う。

この絵、チョチョイと描いたはずなのに、なかなかではないか。
流れる錆まで描けている。

三枚目

石山修武さんという怖いへびに睨まれ、ヘボ岡蛙がフンガーっと必死になって、自分でも気づいていなかった心の内奥にしまっていた必殺技を噴射したという感じだったのだ。
今までに無かったくらいに素直に考え切れた。

二枚目。

建築現場で働いている時に、フロアーが完成して上に上がるだけでワクワクした。
新しい風を感じ、新しい景色を見た。
出来たてホヤホヤのその場所が
踊りをやっていた僕には舞台に思えた。
舞台に立つように、そこを特別な場所とし、新鮮な気持ちで、真摯な心で、その場所に向き合い、作る。

何かを作り、その悦びをエネルギーとし、イメージの源泉とし、次を作る。

一枚目。

ひっくり返した!などと書いたけど、そんなスパッとはしてなかったんです。
透明の建築を描いたのが、たぶん1997年あたり、
落ち込んで、ダメだ、こんなじゃとは思いつつも、他のアイデア無し。
看板に住もうと絵を描いたのは1999年あたりか、、。
三田に土地を買ったのが2001年の秋。
そんな頃だった、
石山修武さんのトコロから「都市住宅を考える」というW.S.の案内がきた。
石山さんを凄い尊敬してるんだけど、同じくらいビビっていた。
でも、あまりのタイミングの良さに「行かねば」と思いお金をかき集めて腹を決めて行くことにした。
すぐに課題が出た「お前らが本気で作りたいと考えているのを描いてみろ!」
ザッパリした課題だった。
その頃の発想は、岡画郎のようなモノを作ろう、、だけだったと思う。
わずかな成功体験にぶら下がっていた。
建築の形などは単純な四角で良い。ようは中身勝負だ。岡画郎のような面白いソフトが考え切れれば、、。
でも、石山さんにその昔、岡画郎のことを「くだらねー、すぐやめろ!」などと言われたことがあったので、その(手)は使えない。
石山さんの前でプレゼンをしたことが、それまでに数回あったけど、いつも蛇に睨まれた蛙状態、アワアワしながら、声うわずって、ボロボロのプレゼンをするだけだった。
そんな状況だったから、僕なりに必死で考えた。
嘘がないように、、、自分がやってきたことを信じて、、、。

そして、今までに、考えてもみなかった建築の絵がスルスルっと出てきた。
本気で作ろうという思いは小さかったと思う。
ただ、「石山さんに怒られないかも、、」みたいな。

これは、その時のプレゼンで使った絵、捨ててなかった。

2015年3月28日土曜日

2015.3.28思い出しメモ

当然、世にある全ての建築を知らないんだけど、
僕が想像し設計するような建築は必ず世界の何処かにあるのは間違いないという確信を持った。
街を歩いてるだけでも、そういうモノにいつも出会う。
、、、この形、俺想像したことあったな、と。
ならば、もー設計しないで良いやと思った。
やり尽くされてるじゃないか、と。
それが、絶望というモノだった。

そこで食い下がって考える力は無く、すっ飛ばした!

設計=建築というのがおかしな話しだ。
建築の中のたかだか一手法が設計ってモノなはずで、設計ってのが無くても建築には至れるはず。
そっちを掘ってみたくなった。

2015年3月25日水曜日

最悪の絵。

蟻鱒鳶ルの土地を買う少し前、山手通り沿いに競売で良い土地が出た。
良いのが出ると、法律当たってどれぐらいの物が建つのか、図面描いてちあきに見せて、二人で考えた。
大きな道沿いだから上の方に住もうか、排ガスも騒音もマシだろう。下の方は、当面何も無くていいや、お金が出来たら部屋作って貸すか、。

問題は上だ。
大通り沿いなんだから、全面看板にしよう!
言わば、看板に住む家だ!
*少し前に、芸術家の川俣正さんが看板に住んでて、伺った事があったので、それを表現とかじゃなくリアルにいこう、、などの下心。
*その頃、身体がボロボロで働けそうになかったので、煙草の販売許可もらって、この看板の収益と合わせて、どうにか生きていこう、、という思いも、。

でも、一番の理由は、デザインするという行為から逃れる事だった。
「透明の建築」は、ちょっとカッコ良いけど、僕のその頃の心は、ホント情けなくって、誰かのデザインした看板に暮らせば、デザインすることから逃れれる、、という、、
もう、MAX自信なし、ガタガタの逃げまくり、絶望の果ての絵。
自分の弱さを隠すような、POPな元気な絵。

辛かった。

2015年3月23日月曜日

ひっくり返した事

立派そうな言い草で上手く誤魔化していた。
必然性の無い恣意的な表現をしないやり口を探す、などと言っていた。
そして三十過ぎの頃に、透明の建築を描いた。
褒められもした。
やっとこれくらいに筋が通った絵が描けたと、
「建築」に手が届いたんじゃないかと胸を撫で下ろした。
その頃は、様々なことで絶望していたから本当にうれしかった。
やっと小さな光にたどり着けたと思えた。

でも、長いこと考え続けた末にたどり着いたその絵には、まるで、ときめかなかった。
元気を吸い取られるような絵だった。
あ、ぁ、、
建築を作りたいと考えこの道に入ってきたはずなのに、必然性の無い表現を恐るあまりに、俺は、建築を消してしまった、、なんて馬鹿なんだ、、。

十代の頃に考えていた「世界マップ」によると、(真逆も可)であった。
フラーも素晴らしいが、真逆のガウディも素晴らしい。
岡理論によると、ひっくり返しは可能であった。
透明の建築をひっくり返すぞ。と決めた。
そして、よくよく見渡すと、透明な建築の方にはワンサカと人が集まっている。
こっちはこの人達に任せておけば大丈夫。
「世界マップ」によると、イビツな球体から、まん丸な球体を目指すべし。となっている。
ならば、不人気な側に進むべし、だ。

僕は、それまで考えてもいなかった側に、転向することにした。
見知らぬ世界と思っていたけど、「現場仕事」と「おどり」が案内してくれた。
「作ることの悦び」という高山建築学校で耳にしていたフレーズも思い出した。
子供の頃のワクワクした気持ちとかまで思い出した。

考え続けた世界の真逆の裏側にやって来たのだから、理屈も一個一個ひっくり返す。
恥ずかしいー!!と思っていた。
形を作る。
重箱の隅までほじって考え抜いて、建築を考える感じだったのに、
図面で考えない。
、、、、、
昔からいる住人のような顔しちゃいけない。
突然引っ越して来た異邦人のような新鮮な目で、こっち側の世界を観察しながらやっていくべきだ。そうしたらもう少し思考が深く掘れるはずだ。

2015年3月22日日曜日

格闘範囲少々拡大中

今、蟻鱒鳶ルの建設作業は止まっている。
こんな事は、着工以来はじめてで、落ち着かない。
生活パターンも乱れ、調子が狂っている。
事情があり、しょうがない、、のだ。
この状況に、他の事も乗っかり、試練かよ!って気分。
ヘロヘロなのです。

それでも、名古屋の学生さん達に招かれ、話す機会をいただくなど、うれしい事も多いので大きくマイナス側に転げる事もなく、そこそこの安定を保てている。
トークショーは、今の岡がどれだけダメダメかという現状説明からスタート。
ほぼほぼ「岡啓輔の悩み相談室!」って感じ。
こんなドイヒーなやり方を駆使しながら、どうにかこうにか悩みダートを進んでいます。

今、この時期ここで立ち止まれるのも、とても重要な機会であろう。
この機会は、滅多に働いてくれない「岡啓輔専用神様」の仕業であろう。
沈思黙考せよ!と。

蟻鱒鳶ル着工前、
「この巨大な不安を、どうにか格闘可能なサイズに小さくしなきゃ進めっこない、、」と考えた。
蟻鱒鳶ルを作る事で露わになる沢山の問題を、全部まともに答えてたら、人生が何十回も必要になってしまう。
なので「考え切れなさそうな方面」はそっとしておいた。
図面を描かないで作ることとは?など、超重要としか思えない問題すら、そっと蓋してのスタートであった。
でも、そろそろ蓋を開け、面倒な奴らとも向き合うべき時が来たのだろう。

だって最近は多くの人前で蟻鱒鳶ルについて2時間とか話し続けれるようになってるんですよ、着工前には考えられないほどの進歩ですよ、コレは!!

写真は、名古屋「あじまの家」で、僕のトークショー後の集合写真。
(中村武司さんのFBから勝手に拝借)

2015年3月18日水曜日

芝浦ハウス

田町には、妹島和世さん設計の芝浦ハウスという素敵な建築がある。
ガラス張りの四角い建物。1、2階は地域の人々に解放されていて、近所の人たちが自由な感じでのんびり使っていて、チョイ羨ましい、。
様々な企画が行われていたりするので、僕も今までに数回おジャマしている。
蟻鱒鳶ルから線路渡って海の方、歩いて10分くらい。
そこで行われる小さな企画に誘って頂きました。
定員10人と書いてあったかな、、
電車賃かけて来るほどじゃないと思うけど、良かったら散歩気分でどうぞ。
終わったら僕は、蟻鱒鳶ルへ帰るので、見たい人がいれば案内します。

http://www.shibaurahouse.jp/event/hello-table0327

2015年3月15日日曜日

名古屋へ行きます

三重県の津でトークした時にその会場で「今度、名古屋に来て下さい。僕らが作った場所で話して下さい」と学生さん達に依頼されたのです。
あり難い事です。
お近くの方、どうぞ遊びに来て下さい。

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『あじまの家』は築60年の木造住宅を、理工学部建築学科・柳沢研究室の学生が中心となった設計・施工により、約1年半の時間をかけて、地域のサロン兼セカンドハウスへと改修したものです。
多くの人が集まり賑わう地域に開かれた場所になってほし
い、そんな願いを込めてつくられた『あじまの家』の完成記念イベントを、下記のとおり開催いたします。

※1:当日は12〜18時、「あじまの家」のオープンハウスも実施しています。
※2:会場があまり広くないため、事前の参加申込みをお願いいたします(見学のみの場合は不要)。

「あじまの家」完成記念企画◉岡啓輔トーク『踊るようにつくる』
日時2015年3月18日(水)18時30分~21時
会場あじまの家名鉄小牧線・味鋺駅 東口から徒歩3分)
ゲスト岡 啓輔 氏(蟻鱒鳶ル保存会
詳細・申込《詳細および参加のお申込みはこちらから》
問合せ理工学部建築学科・柳沢研究室
yanagisawa.lab.1@gmail.com


2015年3月7日土曜日

ず、めーん!

図面、楽しい。
なんとなくの線をホワホワと描いていく。
あっちにも、こっちにも手を出し、その平らな絵を頭の中で立体としてモワモワーっと組み上げていく、こんな感じか、、こういう風に見えるだろうな、、
そのモワモワーの中を何度も歩く、。
でも、こういう可能性もあるか、ホワホワの上に別のホワホワも描き込んでいく。
いくつものホワホワラインが重なり、もう、他人の目には何もわからないだろう。
まだ、わかんないけどと思いながらも、どのラインかを強くしていく。
ハッキリとした空間が見えてくる。
どう?どうだコレ?と問う。
つまんないか、、ちょっと消してみたりする。

設計する事の楽しみを思い出してきた。
夜中になっても、寝たくなくなってくる、ずっと考えていたい。
これが設計のヤバさだ。
健康に良くない!

年に一月ほど設計をし、あとは肉体労働をする。
そんな感じでやっていけたら良いんじゃないか?
それが、長い間の習慣でもあった。
年中建設現場で働いて、夏の一月だけ高山建築学校で図面を描いていた。

建築を作るのに、唯一の方法になりつつある「設計」を疑り、他の筋道を考える。
僕はその係なので、設計と肉体労働のバランスを考えなきゃいけないのだ。

2015年3月4日水曜日

図面を描いてる。

建築士の試験の時買った小さな製図板を引っ張り出す。
カビていた。三角定規とか、鉛筆とか、消しゴムとか。
かつて、チョー愛した人生のパートナー的な存在だったはずなのに、どれもボロボロ。
描き出して、自分の老眼の進行に愕然とする。
数日前ネットで、青焼きの紙が製造中止になるという記事を見て、人生最後の気合を入れた青焼き用の図面描くぞと気合い入れてたのに、ショボーンとなる。
で、しょうがないからフリーハンドで描き続けてる。
ボンヤリと不安だった場所も、図面上で検討すれば、サッと答えが出る。(あー、図面を描きながら建築考えるってなんて理にかなってるんだ!)

でもだ。
抽象的な思考にドンドン傾き、現実から遠い、面倒な絵ばかり描いてしまう。
蟻鱒鳶ルの背面の細い立面を描いていた、
シュルーっと、天に駆け上がるような感じ、どうだ、
あ、なんか、ムンクの叫びみたいじゃないか、この辺工夫したらイケるんじゃないか、。
ニヤニヤして紙の上だけで思考が進む。

これじゃいけない。
抽象的なイメージばかり高めると、ベタベタの岡啓輔が現れてくる。
それは、面白くない。
作業しながら、その場で考えたイメージを沢山重ね合わせながら、でも、作業のやり易さとか、
材料見て考えた別のイメージなどもブッコミながら、
もっともっと豊穣なものを現したいと僕は思っているのだ。

ま、んな事考えながら図面描いています。楽しいです♡
図面で建築を考えることについてもっともっと考えます。

2015年3月1日日曜日

テレビはこんな風

今週の注目ニュースランキング4位だったそう。

祝!しりあがり寿さんの横!!

先日の朝日新聞が送られてきた。
朝日新聞社さんは、とても丁寧な取材でした。
僕が喋ったボンヤリとした数字も、ちゃんと調べ、正確に記してくれてる。
一級建築士の試験に受かったのは31才の時だそうだ。(今まで20代で受かったと思っていた)
で、受かったけど登録してなくって(お金が無かった&大臣が嫌だった)
蟻鱒鳶ルの計画が進み出して36才で登録、と。フム。
藤森照信先生は「コンクリートのガウディ」と呼んでると、、。
先生!!いじめないで下さい!!!
あんな偉人と、、比べないで下さいよ、、(泣)

だいたい見たこともないし、、。

今日、報道ステーションで蟻鱒鳶ル取り上げてくれてたけど、この新聞からの流れでした。
朝日新聞からテレ朝。