2015年5月29日金曜日

フガフガ考えていました

産業革命とかで、急激に建築の需要が高まって、
素早く作れる建築としてモダニズムが登場。
しかもモダニズムには、人類を新たな理想へと導くというビッグな使命感もプログラミングされていて、そりゃ興奮したろうね。アッという間に世界中の建築家たちを感化してしまった。
大量なモダニズム建築家が生まれ、大きなうねりとなり、たった数十年で、モダニズム建築が世界を覆い尽くした。
その間戦争も多く、作っちゃ壊され、作っちゃ壊されも大量建築家はチャッチャとこなす。

でもそういう時代は終わり建築の需要は大激減。
新たに建築を作る理由がハッキリしなくなり、あんなに輝いていたモダニズムも色褪せて見えてきた。
世界の困難な問題を解決し、人類を高き理想へ導く!疑う要素などまるで無いと思われ、カッコ良く機能し続けたモダニズムがとうとう役目を終えてしまったのだ。

ポストモダンとか、デコンとか出てくるけど、モダニズムのような広がりは無い。
その他いろいろと新たな建築が現れるけど、まー、、なかなか、、巧みに商売にからみとられ、、消費されるだけ、、。
兎に角作れ!経済回せ!!の資本主義の手先をやるくらいしか、モチベ上げる理由無し。
そして、だんだん「もったいないよな、エコ重要でしょ」という声も大きくなってくる。モチベガタガタ。
そんな状況で、建築家に未来はあるのか?と語られだしたわけだ。

時代の局面なのだ。

モダニズムはあまりに無理矢理な嵐のような運動だった。
本質は、早くドンドン作れ!だけなのだけど、今までの大切な部分をいろいろと捨てないと、簡単に切り替わらない訳で、未来志向な、合理的な思考を、耳ざわりのいい崇高な思想にまで高める。それ以外は古臭い!捨ててしまえと煽る。
「装飾は罪悪だ」と宣言し、職人の心を奪う。
「誰の手かなど問題では無い」と言って職人のやる気まで奪う。
やる気無くなり、技術は落ちる。
その代わり誰でも簡単に使える、新建材や、接着剤、、、職人は身体までボロボロだ。

僕は、長い事建築現場で働いてたけど酷いものだった。
手抜きなんて生やさしいモノじゃなくって、犯罪と言っていいレベルの作業も沢山見てきた。
心もヤル気も健康も奪われた職人の怨念が今の建築を作っている。
上辺だけが少々キレーな怨念建築。

建築の時代は一回終わり!で良いんじゃないか?

今から反省です。

パソコン上で半端に新しいデザイン考えても意味無ーし!
モダンの大騒ぎで、建築家が潰してきた大切なモノをもう一度とり戻す為に、
建築家達は、現場に戻るべきだ。
ごめんね、イジメて、散々無視してきて。
ちゃんと謝って職人と対等な人間関係を作るトコからはじめる。
そして、建築家が職人になる。

たらね、
うわー作るの楽しいーーー!!!!
という悦びがきますぜ。

岡啓輔建築革命概要でした。

2015年5月26日火曜日

だれも知らない建築のはなし、のあと。

石山友美監督のドキュメンタリー映画「だれも知らない建築のはなし」が渋谷のイメージフォーラムではじまっています。
僕は、友美さんが建築の学生だった頃、ほんの一時期だけの知り合いだったのですが、映画の試写会に誘ってくれ「トーク出てくれますか?」と言ってもらったのです。
これは〜!緊張しますぜ!!
憧れまくったビッグスター達が、真摯に語る映画のあと、ヘコヘコ出てってサー何を話すんでしょうかね?
明日27日、夜の9時過ぎ、渋谷。
お暇な人は是非どうぞ。
http://ia-document.com

2015年5月25日月曜日

ほぼ信仰。

数日前、待ち時間でボーッと知らない本屋をウロウロしてて、これ買った。(何度か買おうと思って、買ってなかったよな〜、たぶん)
ニーチェ本買うとちあきに呆れられる「又、買ったの〜」と。
ニーチェとオートポイエーシスとゲーデルの「解説本」ばかりが増えていく。
(わからないのでしょうがない)
でもだ!ついにというか、流石「100分de名著」!ここに書いてあるレベルはスルスルとわかるぞ!わかって、十代の頃、高専の田中先生に教わりながら、興奮していた事を思い出す。
あれ以来、ニーチェは僕にとってほとんど宗教だった。
意味はわからずともお経を唱え続けなさいの大乗仏教ノリで、ニーチェの言葉を唱え続けた。
「永劫回帰」とか、事実では無いけど、人生乗っけて良い方便だと思った。
信じると決めた。
我欲す、とか、その生を悦びで満たせ、とかそんな言い方!好きでたまんなかった。

倉田先生が「よろこび」を「悦び」と書くのとか、あーニーチェと同じだ、良いぞ。とか思った。
ニーチェなど読むの何年ぶりだろう、しかもわかるのを。
学生時代の興奮をアリアリと思い出してる、忘れてた〜、そういう事だったのか〜と。

そして、大きな流れに結びつけつつある。

虚無感に満ちた今の日本に、
自分の信じ抜いた悦びをぶつける事。意味在り。

*読むのは遅い、まだ3分の2。

2015年5月18日月曜日

命を賭す

秋澤健司さんが自力で作った家を見に行った。10年以上ぶり、、二度目。
秋澤さんは、高山建築学校の先輩で倉田先生の一番弟子だ。
家を作ると決め、故郷の鹿沼に土地を求め、長い年月をかけて作られた。
手作りのコンクリートピースを重ねた三階建て。
前回来た時にはあまりわからなかったけど、蟻鱒鳶ルを9年作った僕には、なぜこういうように作ったのか?という理由がかなりわかる。
大切にしたい事、まあまあでいい事、切り捨てた事。
優先順位がいい加減じゃなく、厳密だ。
清々しい。

鳥のさえずりなど聞きながら、自分の作ったブロックから漏れるキラキラした光の中でコレを作る悦びは、何事にもかえられないほどの大きかっただろう。
秋澤さんが心を鬼にして、自分の持ちうる全ての力を注いで作った建築。
ギリギリまで問い続けたけど、とうとう決を得れず、諦めて放置されたトコロもある、心がつまる。

本気で建築に命を賭けた人。

悦びと絶望を往復し闘った全ての痕跡を残してくれている。




2015年5月15日金曜日

さなぎにて

ブログを書かない日が続いています。
書けないぐらい感動した事があったり(これ以上にうれしい事はなかなか無い級)
呑みながら、ダーダーと気持ちを吐き出しながら、泣いてたり(アホ過ぎ)
ま、なかなか、大変な日々です。
でも、おおまかには、グチャッとしていた、自信が持てていなかった問題が解決したりしながら、何か大きな覚悟に向かえてる気持ちです。
身体ドロドロに溶けながらも、蝶になって飛ぶぞ〜!と気合いを入れてる、さなぎのような今です。
昨日は、終日コンクリートの講習会だったんだけど、自信が持てていなくて不安だったいくつかの点も、ハッキリと正しい方法に至っていたと知ったし、、。(この事は、キチンと整理して書きます)
写真は、この前の産経新聞「生き物ビルあります。」良いタイトルでしょ!

今日は、高山建築学校話し合い(熊鍋つき)です。