「蟻鱒鳶ル」読みは「アリマストンビル」、友人マイアミが名付け親です。2005年の着工以来、沢山の友人達に手伝ってもらいながら、植物のように、ゆっくりゆっくり出来ている小さなビルです。 蟻鱒鳶ルのコンクリートは、上質の砂とジャリを使い、水セメント比は37%、少しずつの量を箕で丁寧に型枠に入れ、一週間以上水をかけながら養生します。出来たコンクリートはギュッと詰まった感じです。ある研究者には「200年以上保つ」と言ってもらえました。 200年!!想像も難しいとても遠い未来です。 「蟻鱒鳶ルを200年残す価値のある建築にする」事は、凡才の僕にとって身震いし、足のすくむ仕事です。 でも、もう信じているんです。 蟻鱒鳶ルの在る未来を。
2013年7月30日火曜日
ゲスト参加者としてちゃんと読まねば!
「BOOKYOTO(ぶっきょーと)」文・舞阿弥(吉野正哲)
「BOOKYOTO」では『作品としての会議』の制作スタジオで、会議を共同制作します。
現在、たくさんの物事が私によって廃棄され取り壊され忘れられ使い捨てられています。
その廃棄される物事の黄色いゴミ袋の中には、時間や健康、それに遊び心、やる気、さら
には夢や希望までが、ひしめき合っています。原子力発電所は、この様な私の価値観と生
活態度が生み出したものです。
私は価値観と生活態度を変えなければいけません。これがずっと課題のまま先送りにされて今日にいたります。
そこで、いかにして価値観と生活態度を変えるか。を座布団に座って会議したいと思います。若干、座布団が足りなくなる事が予想されますので、御持参いただけると助かります。
ゲストにセルフビルダー(自力建築家)の岡啓輔さんにお越し頂きます。岡さんは現在東京都港区三田聖坂に「蟻鱒鳶ル(アリマストンビル)」というセルフビルドの自邸ビルを建設中で今年で8年目になります。
蟻鱒鳶ル保存会 arimasutonbi.blogspot.com/
私は岡さんに誘われて「高山建築学校」という夏の間の10日間のセルフビルド建築のサマースクールに参加しました。自分は「建築」というジャンルとは一生、縁の無い人間だと思っていたのですが、当たり前な事に、現代の社会で生きている限り、建築というものと無関係な人間などおらず、ただ無関心なだけだった、という事に気付かされ、建築は音楽や美術と同じ様な表現行為の一種であり、法律や土地や経済や地域と言った、社会の様々な側面と向き合っていかないと成し遂げられない、成熟した人格を要する表現行為なんだと知りました。
私が高山建築学校に参加した事で得た、大きな収穫の一つは社会はありとあらゆる職種と多種多様な文化のコラボレーションによって成り立っているんだ、と気づけた事です。
高山建築学校の敷地内ではそれぞれの参加者が自分の作りたい物を作っている様子が一望出来て、本来の社会はこんな風に繋がりあっているものなんだと視覚的にも認識出来るのです。それは理想の社会が生き物になったみたいな光景です。誰かの作業する姿に私も元気付けられて、私の作業する姿もきっと誰かを元気づける。
セルフビルドでは設計した人自身が建設作業の全ての工程を担うので、通常の社会では、別々の仕事になっていることが、本来は一繋がりの仕事なんだと言う事が当たり前に認識出来ます。普通機械がやってくれるコンクリートを練るところまでを設計者がやります。大学卒の建築家が設計したものを高卒の現場作業員が建設すると言った学歴社会のヒエラルキーはありません。
本当は一繋がりの作業であるはずの物作りの工程が、分業によって、冷たく分け隔てられていない社会ではきっと人間同士はもっとお互い一つの仕事をしている仲間同士なんだとちゃんと認識出来るのだと思います。
岡さんはここで毎年沢山の事を勉強して若い学生からもエネルギーを貰って、東京に持って帰ってそのエネルギーを元気な建築にして街の人たちに見てもらってます。社会がもっと高山建築学校の様に、お互いの仕事や文化的な活動のコラボレーションで出来上がっていると実感出来る様になったら良いな、という願いが、そこには込められている様に思えます。
その様な事に気付いた私ですが、建築家ではありません。収入はゴミ収集のアルバイトで得ています。ゴミ収集の仕事は建築とは違って形の残らないものではありますが、社会の様々な活動の結果に生み出された物(ゴミ)を扱っているという意味では実に全方位的なコラボレーション業務ですから、建築と同じ様に、ゴミを通じて社会ともっと面白い関わりが持てたり、私達が活き活きと作業する姿が誰かを元気付る事が出来たら良いなと思います。
工場で大量に製品を生産する工程に携わっている作業員と、その工場を動かす電力を発電している発電所の作業員と、その製品のパッケージのデザイナーと、その製品のバーコードを読み取る機械を開発したエンジニア、その製品の消費者、その商品の消費税価格を議論して決めた政治家、その製品のコマーシャルが流れるプロ野球中継での選手達のプレー、その製品がゴミになったとき収集するゴミ収集作業員、は全て同じ一つの仕事をしています。それがなんでこんなにも分け隔てられ見えないままにされてしまっているのでしょうか。一つの画面に社会をまとめて世界の繋がりを認識したいです。曼荼羅みたいに。
ゴミ収集の可能性は、全ての人がゴミを出す事、ゴミは道路脇に出されるので常日頃目に見えている事、あらゆる製品、生産物、老廃物がゴミになること。バラバラだった仕事が遂にゴミ袋の中で一つになれる事。など
「人間、野菜、宇宙の塵など、私たちすべては、目に見えない演奏者が弾く単調で不可思議な旋律の曲にあわせて踊っているにすぎない。」by アルバート・アインシュタイン
では実際にどの様にしたらゴミ収集、ゴミ作り、ゴミ出し、ゴミ減らしを連携させてクリエイティブな表現行為として連帯する事が出来るでしょうか?私も岡さんと同じ様に高山建築学校で気付いた事を京都の街で何か展開出来るかな?
ここでラスキンと言う19世紀イギリスのヴィクトリア時代を代表する評論家の言葉を引用してみます。
「みなさん、塵には地球と生命と社会のすべての結末が飛沫となってひそんでいるのです、その塵からこそ、新たな倫理を取り出さないで、何が政治なのですか、何が経済なのですか、何が教育なんですか――。」『塵の倫理』より
この塵をゴミと入れ替えても同じ事が言えると思います。
「みなさん、ゴミには地球と生命と社会のすべての結末が飛沫となってひそんでいるのです、そのゴミからこそ、新たな倫理を取り出さないで、何が政治なのですか、何が経済なのですか、何が教育なんですか――。」『ゴミの倫理』より
これは実に本当の事だと思います。沢山の社会問題の答えが黄色いゴミ袋の中にもぎっしり詰まって叫んでいる様に思えます。倫理という言葉の定義は、「持続可能な社会を作るのに必要な価値観の元にすべき良心の様なもの」の事ではないかな?
《倫理=人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。(コトバンクより)》
私がゴミ捨て場に捨てるもの以外にも沢山の種類のゴミがあります。
「廃棄されたものは、人間の目的にとって価値のないもの、使い途のないものである。この世の中には、廃棄されたモノ、廃棄された土地、廃棄された時間、そして廃棄された人生がある」『廃棄の文化誌 ーゴミと資源のあいだ』 ケヴィン・リンチ著
廃棄された人生とはこわいですね。ただ廃棄された時間というのは確かに私自身に思い当たります。それが積み重なったものが廃棄された人生だとしたらうっかり者は余程の注意をしたいところです。人生に染み付いた価値観が「捨てろ、捨てろ」と囁き、その通りすて続けてしまい価値観の自動操縦は止められません。ゴミ袋には価値観の結末が詰まっているんですね。ただ一つ希望は一度捨てられたものでも再び誰かが拾えるということですね。時間を除いては。
自分で物を作れずにただ消費するだけで、時間がどんどん過ぎて行くだけだというのは本当はとても頼りない気分で怖くなってしまう状態なんじゃないかと思います。
そこで幸せの国ブータンの場合を調べてみました。
ブータンは、仏教の深い影響を受けた国である。昔から、ブータンの人々にとって、宗教的な建造物の建築や修復は、純粋に献身的な行為であった。このような行為を献身的に行う感覚は、進行中の作業に自発的に労働力を提供すること、つまり報酬などなくても身体を張って貢献しようという衝動によく示されてい る。ここでは、他の原則は一切働いていない。
1961 年に外国に対して国を開き、社会経済的な開発計画を開始したことで、ブータンの人々の生活には数多くの変化がもたらされた。ブータンとインドを繋ぐ、自動車道路の建設によって、ブータンの建築や使用される素材は大きく変化した。このような変化は、首都ばかりではなく全国の地方都市にはっきりと現れ全土において伝統デザインと伝統 工法は次第に片隅に追いやられている。[1]
人々の社会的価値観のシステムにも問題が生じてきている。近代化により様々な恩恵 がもたらされる一方で、薬物乱用、非行、家庭崩壊といった社会問題、近代化の影の側面や負の影響が、ブータンの社会文化システムに徐々に忍び寄ってきた。これは現在存在する社会的価値観のシステムを衰退させ、結果として国家の持続可能な開発に対し否定的な影響を与える結果となる可能性もある。このような近代化の否定的な影響に対処するため、環境などすべての存在への敬いの精神を教えるという伝統的価値観を、断固として維持していかなければならないのである。[2]
ブータンでは近代化の波によってせっかく培って来た価値観が崩壊し始めています。
きっと日本はそれよりもっと激しく価値観が崩壊してしまってると思われます。
ではこれから新しく本格的に事業を開始するHAPSの活動拠点、東山の、室町時代中期の価値観はどんなシステムによって成立していたのでしょう?
室町時代、東山文化では「同朋衆」という存在がアートディレクターの役割を担い文化の発展に貢献していたようです。松岡正剛さんの『武家文化と同朋衆』の書評から引用します。
「同朋衆が登場してきた背景には、いくつかの明確な条件がある。ごくかんたんにまとめると、次のような背景があった。
第1には、「座」の社会が用意されていた。(略)これらの座のそれぞれに、寄合(よりあい)と雑談(ぞうだん)をたいせつにする「一座建立」と「一期一会」の心が育まれた。ここではそこに集まった会衆の身分や出身を無視する「一視同仁」というコミュニティ意識も育まれた。
(略)第3に、すぐれた批評、すなわち評価をする者たちが主として連歌師から生まれていった。
(略)実はネット社会のほうでも、いま評価システムをどうつくったらいいかという問題やどうしたら評価者を用意できるかという機能の問題が急浮上しつつある。
多様な価値の乱立を、すぐって適確な評価のしくみに変えるにはいったいどうすればいいかということで、いわばネット型の同朋衆も期待されはじめているということである。
(略)今日の日本に同朋衆が不在しているのは、なぜなのだろうか。「座の文化」が重視されないからなのである。ぼくは確信するのだが、われわれはやはり坐らないと話にならないのではあるまいか。[4]
「BOOKYOTO」でも、座布団に座って会議するので、もしかすると現代の同朋衆みたいな会議が出来るかもしれません。これまでの評価の対象として取り上げられる物では無かった廃棄された物、今にも取り壊されそうな近代建築、今にも廃棄されそうな人生、今にも変えられそうな憲法、等を評価出来る能力を持った会議が出来たら良いですね。切羽詰まった状況に追い打ちをかけて批判し合う事に時間とエネルギーを無駄に使って互いに価値を傷つけあう事をしないように気をつけたいです。
会議を生命力溢れる場にする為、「BOOKYOTO」では音楽を導入しようと思います。今回は、私の理想の音響技師である、西川文章さん(3日のみ)と、HAPSスタジオで斜め向かいの音楽室で制作をしておられる京都メディア研究会のアナログメディアアーティスト、毛原大樹さんにコラボレーションして頂ける事になっています。更に二階の理科室から鏡世界社のミニ四駆のコースが会議室内までやってきて会議と同時進行で様々な出来事が交差し演劇的な空間が生まれる予定です。
「音楽は演劇の一部である。「焦点」とは人がどの面に注目しているかを指す。様々なものがすべて同時に進行するのが演劇だ。私にとって音楽がもっと生き生きし たものになるのは、たとえば聴くことが見ることの妨げにならない場合である。音楽はとても自然に捉えるべきなのだ。技法は要らない。」ジョン・ケージ
■会場に流れる音楽のイメージ
「かつての日本人の音の享受の仕方として際立っていたのが「遠音を楽しむ」ことで、これは自然音、環境音の中に溶け込むようにかすかな奏楽の音色をよしとした世界である。その一方で、三味線のサワリが代表するような「雑音性の豊かな音楽」で「音階にこだわらない音楽」、そして「初めも終わりもない形式」が江戸の音の特徴である。さらに能、文楽、歌舞などは、音と音楽、言葉、身体、演技、舞踏、サーカスが渾然一体となった世界なのである。歌舞伎役者が着物に焚きしめた伽羅や白檀の香り、三味線の音の艶めかしさ、身体のダイナミズム…、香りと音と色の交感する劇場空間の中で人々は五感のすべてを解放され、「個」を忘れて、非日常の世界に酔いしれたのだった。」
『言葉と音楽の境界-現代文学とパフォーマンスの試みから』鈴木正美 より
会議に音楽を融合させる事で集中力が削がれ逆効果が生まれるのではとの指摘もあり、4日に関しては音楽の導入は保留としています。音楽と会議のライブ模様はビデオ撮影、録音をして編集し前述のZINEと併せて何らかの形で刊行します。(クリエイティブコモンズライセンスを付けてフリーダウンロード出来る様にするとか。)「クリエイティブ・コモンズとは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(CCライセンス)を提供している国際的非営利組織とそのプロジェクトの総称です。creativecommons.jp/licenses/
NPO法人クリエイティブ・コモンズ・ジャパン理事ドミニク・チェンさんによると、「ジェネラティビティ」(「次世代の価値を生み出す行為に積極的にかかわって行くこと」或は「自己よりも長生きする生命や活動に投資したいという欲望」を意味することば)の概念がフリーカルチャーの根本的な価値を体現していると言います。「それはなぜ、そしてどのように私たちが学習と創造を繰り返し、文化が形成されていくのかという根本的な問いに光を与えてくれる概念だからです」(フリーカルチャーをつくるためのガイドブック・クリエイティブ・コモンズによる創造の循環/著者=ドミニク・チェン)P,248より
■「自己よりも長生きする生命や活動に投資したいという欲望」
蟻鱒鳶ルは200年以上持つと言われているそうです。岡さんの生き方はまさにこの「ジェネラティビティー」を体現しているように思います。とても頼もしく感じます。
業種を超えたそれぞれの現場で「ジェネラティビティー」が行動に移されて学習と創造が循環して行ったら良いですね。
その気持を確かめて、高め合える様に、現代社会の生産過程で通常、分け隔てられてる人達が京都市指定の黄色いゴミ袋の中で一堂に会して話し合える様な会議にしていきたいです。
みなさま是非とも奮って御参加下さい!!!
2013・7・28 吉野正哲
文中略
[1]『生きている歴史的建造物の保全:その衝突』 ブータン内務文化省文化局 歴史的建造物保護課エンジニア カルマ・ワンチュク
[2]『有形・無形文化財の保護、保存、有効活用のための政策 』-市民・青少年の参加によって-ブータン生活文化省文化局長 ドルジ・ワンチュク
[3]520夜『武家文化と同朋衆』村井康彦|松岡正剛の千夜千冊
このポスターの真ん中!
蟻鱒鳶ル建設のことを説明しながら、演劇みたいな事をやった時のモノ!
4時間くらいやったね、、。見てくれた人、まことにお疲れ様でした。
懐かしい〜!
砂!
キレイなものです。
ちょうど撮影に来ていた写真家のKさんは、この砂を未来の蟻鱒鳶ルと表現してくれた。
朝から雨が降る中、タロウと祈るような気持ちで買ってきて、雨が弱まったわずかな時間で汗かきながら現場に投入!
この作業が昨日じゅうに出来なかったら、9月の作業がガタガタになるトコロだった。
本当に良かった。
こんな、ギリな作業に付き合ってくれて、タロウありがとう!!
2013年7月28日日曜日
蟻鱒鳶ル広報部より
6時15分〜6時半の間で、ビデオが五分ほど、それを見てみのさんとかがコメントしたりするそう。
ディレクターMさんは、一人で取材、撮影、録音し、きっと今一人でグリグリ編集作業をしているはず。
そんなMさんはなかなかの熱血漢であった。
撮影当日は昼食もとらず、一通り終わった後も夕暮れまで、路上で次々に通行人にインタビュー、断られても、断られても、、、。
僕は、遠くで缶ビール飲みながら「諦めた方がいいんじゃないかな〜」とその様子を見ていた。
ずいぶん時間がたった頃、おそらくこの街で最も蟻鱒鳶ルを語れるKO大学教授A先生が登場!
Mさん、A先生を素早くキャッチ!
「お〜、報われたぞ」とうれしくなった、、、。
A先生、どう話してくれたかな。
どうか、良いものに仕上げてくれますように、、。集中力上げて編集頑張ってくれMさん!!
そして、みのさんが怒りませんように、、、。
2013年7月27日土曜日
取材
フジテレビ、東京新聞、雑誌「I'm home.」、TBSみのもんた朝ズバ!(今度の月曜日の朝、6時15分〜30分の間で流れるそうです)。
取材を受けるのは、時間もかかるし(五分の朝ズバ!で、一日半!)
新聞やTVは、文面や映像の事前のチェックも出来ないので、出るまではとてもハラハラするし、、、。(あー朝ズバ!どうだろ、、、、)
いろいろと大変だけど、蟻鱒鳶ル広報部としては、出来るだけ頑張りたいトコロ。
取材にきた人が、建築の専門家であろうが、なかろうが、それなりに真剣に見て、質問してくるのだから気が抜けない。
今までは、ボンヤリ答えていた質問にも、より正確に、正直に答えなきゃダメだと最近強く反省もした。
「岡さんは、なぜ、こんなモノを作ろうと考えたのですか?」
「いや、理由は、いっぱいあって、、、、」とモゴモゴ答えてる情けない現状、、。
このあたりの事は、キチンと考え抜かなきゃな。重要だ。
ゴチャゴチャしてる気持ちをトントンと整理し、一番の理由を!
もうそれが出来る時期だろう。
写真家の撮影も為になる、見るプロだ。
思いもよらぬトコロを撮られていたりし、僕はハッとさせられる。
鍛えられた目は、まずは目のつけどころが良い。
(取材じゃなくても、写真家の訪問が多い。最近、石山修武さんの著書「SELF-BUILD」の写真家、中里和人さんも来られた。写真家の白石ちえこさんと)
一番怖いのは、藤森照信さんや、吉村靖孝さんのような建築のプロの目。
先日、雑誌「I'm home.」の取材で来てくれた吉村さんは、インタビューどころか、質問もほとんどなされない。厳しい目で、ジーッと見続けるだけ。
I'm home.楽しみだ。
吉村さんのような若い建築家に蟻鱒鳶ルは、どう伝わったのだろう?
(写真は、フォトグラファー金子美由紀さんのカメラ。休憩中に岡コッソリ撮影)
ね、。
選択しなかった、あり得たかもしれないもう一つの人生は、ちゃんとサッパリ諦める。
サッパリ出来なくても、グイグイっと気合で我慢する。
アレもコレもと子供のように欲しがっちゃいかん。
選択した事を、ただひたすらに楽しむ。
そして、自分がが選択しなかった人生を歩む友人を見つめ、応援する。
だべ。
暑いね。
暑くて寝れないので起きてる。
大好きな田中先生がニーチェの永劫回帰の話しをしてくれた。
「不遇で、苦しいと思っている人生がある。
あまりに辛くてとうとう自殺してしまう。
だけど、その人は、また全く同じその人に生まれ変わり、全く同じ人生が始まる事となる。
その人が、どんなに逃げたくても、全く同じ人生が永遠に繰り返されるだけだ」
ニーチェさんの言わんとする事にグッときた。
僕は、自分の心臓病と、色弱の事を辛く思っていたけど、その日に気持ちを切り替えた。
心臓病も、色弱も、僕だ。不可分。
僕と永遠に一緒だ。
心臓病も、色弱も、僕が選択した事だ。僕が望んだ事だ。
「我欲す」がお気に入りの言葉になった。
それ以降、数年間の日記には「我欲す」だらけ。
選択大事!みたいなTV番組を見た夜中。
2013年7月25日木曜日
ニューフェイスです。
ウム〜、となる。
わからない感じ、この感じをどう今後に繋げてゆくのか、まだ何も考えきれない。
何かちょっとくらい考えきれてやれる事もあるけど、それでいい感じになるとも限らない。
これだけ、わからないのに作り進む、蟻鱒鳶ル。
2013年7月23日火曜日
突然雨。
わずかにみぞれが混じってるようにも見えるが、着地した瞬間に融けるのか、確かめられない。
道具をかたし、ずぶ濡れのシャツを着替え、一階で雨宿り。
今日の午前中は雑誌の取材で、建築家の吉村さんがデザインを仕事にしている友人三人と一緒に来てくれた。
当たり前の事だが、面白い人ほど、面白い見方をして、面白い質問をしてくれる。
つまらない質問をする人はつまらない。しかも同じのばかりで、答えていてもつまらない気分になってしまう。
今、とんでもない雷。女子校から黄色い悲鳴。
つまらない質問をする人は、答えていても、あんまり聞いてくれてなかったりする。(はいはい、そりゃ、そうでしょうね)と、答えはその人の中に最初から用意されてる様子。全く、つまんない、、。
雨は小降りになってきたけど、時々爆音の雷。
子供達が肩を寄せ合い傘に入り怖がりながら下校してる。
最近は、面白い質問をしてくれる面白い人達が多くてうれしい。
僕は、その言葉の中から、新たな何かを発見し、進んでいる。
言葉は、僕の魂モーターの燃料だ。
皆様来てね。
夏は、グッタリだ。
寝苦しく睡眠も不足している。
あー、雨止まないのか?
止まないならちょっと昼寝しようかな。
うん、そうしよう、で、今書いたこの文章をブログにあげよう。
最近は、とにかく、朝から晩までグッタリで文章書く気力も無く、あまり更新していないのだ。
少し寝て、起きて晴れてたら、日暮れまで働こう。
雷怖い。
2013年7月19日金曜日
ベストン
2013年7月15日月曜日
白いのあげます。
高山建築学校2013参加者募集中!
2013年7月14日日曜日
高山建築学校2013参加者募集中!
2013年度「布石を打つ」 |
---|
高山建築学校は飛騨高山の古民家を拠点とし、自分の頭の中で考えたものを自分の手で作り出す、セルフビルドを中心とする創作活動を実践する場所です。 その創作活動とは、不確かで移ろい行く世界の中に、自分がリアルにイメージできる確かな像を描き出し、自ら実現させることです。 高山建築学校とは、このような各々の活動のベクトルが幾重にも折り重なり交錯することでできあがる場の総体です。 今年の高山建築学校は、一つのコンクリートブロックを打設する事から始めます。そのコンクリートブロックとは、TASS-WALLと呼ばれる、学校の敷地内にある一群の組積造の壁を構成する部品です。 1989年に建設が開始され1998年に中断されるまでの10年の間、学校の主な活動であったTASS-WALL建設を、まず一つのコンクリートブロックを据えることで再開しようというプロジェクトです。 それは止まっていた時間を再び進めるということと同時に、TASS-WALLが構想された1987年から現在の2013年までの、私たちをとりまく周辺環境の変容を、当時と同じ作業を反復することから捉えてみる定点観測作業でもあります。 当然ながら、TASS-WALLをとりまく環境も大きな変化を迎えました。建設当初は森に囲まれ地面から盛り上がるように立ち上がっていたTASS-WALLの壁も、現在は国道と擁壁に囲まれ、周囲との関係の調停が失われたまま現在に至ります。 このような、私たちをとりまく世界の変容を、実際に当時と同じコンクリートブロックを製作する作業を通じて熟慮し議論すること、これを今年の最初のプロジェクトに据えたいと思います。 また、ただ過去を反復するだけでなく、現在の環境の断片を取り込み活動を進めるならば、私たちがそこに描き出す像はTASS-WALLの構想当初とは異なる地点へと到達するはずです。 その情景を映し出す脳と実際に製作物を作り出す手の間に、一本の確実な回路を通すことを目標にして、今年の高山建築学校の開校をここに宣言します。 ポスターに書かれている宣言文です。 建築を真剣に考えてる人、来るべし!! |
@ohnokazuo_bot: 命が先行すれば、上手下手は問われません。もっと先行して、先行して、先行して!
この言葉。そうだ、こういう事をやりたいと誓ったっじゃないか!
2013年7月12日金曜日
今夏はちょっと涼しい
すぐ風でバタバタなるし、雨水はドバーッと一気に落ちるし。架け替えるのもかなり面倒だった。
だけど今夏はコレ!
かなり、バッチシ!風も通るし。
農業用資材は侮れない。安いし、丈夫だし!
とはいえ、暑いよ。1時〜3時は上無理!
エアコン切れ!全部切れ!!
熱い空気が外にでとるんじゃ!!!
屋内で涼しく働いてる皆様に言いたい。それは熱交換器なんよ。
外、暑いんよ。
切るのが業務上無理だとしたら、仕事終わりにビールなど差し入れるってのも一案。
、、、、。
ハイ、ウダウダ言わずに働きます。
すいません!
2013年7月11日木曜日
写真家の本多さんが、現場見学ツアーをやってくれた。ありがとー!
建築現場なんてね。
でもどうぞ、来てください。
数人で、現場見学ツアーとても良いと思います。オススメ!!
時間は、どんな季節でも日暮れ前1時間とかありがたいです。
作業を中断せずに、ちょっと早仕舞いして案内しますんで。
その後のビール、喜んでお付き合いさせて頂きますし!
ヨロシク〜。
2013年7月9日火曜日
フィンランド2
彼らは、富裕な金持ちではないが、ちょっと名の知れたコレクターである。
二人が暮らす狭いワンルームの部屋の中には、大量に蒐集し続けられた作品が、食卓とかにも所狭しと飾られ、もうまるで機能していない。スムーズな暮しなど無視。美術作品の倉庫の片隅で暮らしてるようなカッコウになっている。
そのくらいの気合いだ。
その中で彼らが最も大切にしているのがこの素朴な技法で作られた陶板。森のようなライオンのお腹に鹿か何か。
国民的デザイナーのタピオヴィルカラの妻が作ったモノだそうだ。横幅が80センチくらい、なかなか大きい。
彼らの部屋に行くと僕はいつも釘付けになる。
今回のフィンランド行きの作業がほとんど終わった日の夕方、彼らは車を飛ばし、僕らを田舎町の美術館に連れて行ってくれた。ガラス工場を改装して作られた美術館では、タピオヴィルカラの展覧会が行われていた。
ヴィルカラの作品には、ガラスのモノが多く、金属のモノ、木のモノなどもある。その素材そのものが内包している美しさの可能性を発掘するかのような作品が多い。
ガラスの加工として当時流行ったであろうメジャーな技法には依らず、自分の目と手と頭で掴みとった独自の技法が駆使されている。しかも、ありとあらゆる角度から素材に肉薄する。
凄い。
藤森照信さんに書いてもらった言葉。
「コンクリートに腰まで浸かるうちに、いつしか身体中に滲み入り、岡の五体を通ってまた外に出てきて生まれた空間にちがいない。、、、。」
この言葉には、現実の僕は、恐れ多く程遠い。
そんなやり方、知らない。ただビビる、、、。
でも、ヴィルカラを見た。
こういう風にやるんだ。
素材を抱きしめるようにして、
魂を聞くかのように、没入するんだ。
2013年7月8日月曜日
フィンランドでした。
写真はマッティーさんの絵。マッティーさんは最近呑んでるとずっと絵を描いてる。ドンドン描いてる。
今年フィンランドの児童文学賞を受賞。マリメッコのデザイナーとしてもデビュー、ノリに乗ってる感じ。
ちあきの仕事をエーロさんと一緒に助けてくれている大切な友達。
さ、東京は夏だ!働くべ!!
2013年7月3日水曜日
東京新聞はここでは手に入らんそうだ。
@Bergzatsuyoten: 先月、ベルクの壁(3人の写真家による合同展)でもご紹介した蟻鱒鳶ル、今朝の東京新聞(28面)に大きくのりました!見出しが「たった一人手作りビル」「8年前から工事 夢の自宅まだ先」!
どうやら、出たそうです、、、、。
当初三日の予定だったのが、四日に変更になって、その連絡はあったんだけど、結局今日三日に出たんですね。
只今成田空港、出国したトコロ。毎年恒例ちょっとだけの海外肉体労働です。
帰ったら読みま〜す。
でも、ちょっと心配だぞ〜、担当さーん!
2013年7月2日火曜日
TOTO通信出ましたが、四日の東京新聞、TOKYO発にも出して頂きます。こちらもヨロシク〜。
今日は一日だったので、蟻鱒鳶ル左下掲示板の写真も変えました。
また、関根さんの写真を勝手に使っています。
TOTO通信!ゲットするべし!!
兎に角、今号!重要ですぜ!!
500号記念。特集のタイトルなんて「忘れられた冒険」!カッコいい〜!!
皆、あらゆる手を使って入手すべし!ですぜ。
近所のTOTOで、便器買うからTOTO通信下さいとかね。
日頃、岡に優しい人にはあげますよ。
わたしは特殊ルートで沢山持ってるのです。
で、読むべきは藤森照信さんの蟻鱒鳶ルレポート。
「石を使っちゃダメ!」と釘刺されてます。
でも、ホントありがたい、うれしい!がんばります!!!!
2013年7月1日月曜日
新宿ベルク
踊りの修行の時期で、いつも新宿の街で踊っていた。
白塗りし、下手な踊りをやって、小銭を稼いでたんだけど、たまにベルクの前辺りでもやった。
ビルの中なのですぐに通報され、すぐ警察がやって来る。
捕まるのわかっててやっていた。
20年前の事だ。
昔過ぎて、自分の話しに思えない。
ベルクでの展示やって良かった。
広瀬さん、本多さん、関根さんありがとう。
ベルクの井野さんサコカワさんありがとう。
観に来てくれた皆様ありがとう。
これからもトントン頑張ります。
今、撤収に向かう電車の中、眠い〜。