2015年4月30日木曜日

春は眠いね

蟻鱒鳶ルを作る意味がドンドン大きくなってきていて
その大きさ持ち堪えられるのか俺?という不安があり、もうこれ以上膨らまさんとこう。としていた。
でもね、そんなコントロール無理。
蟻鱒鳶ルは問題意識袋がドバーッと開かれたようなモノで、
考えざる
をえん。
もう、岡の人生全部もっていっちゃうんだな。
甘〜く夢みていた「他の可能性」は、サッパリ諦めろと。

よって、設定が大きくなってきています。
蟻鱒鳶ルは、建築の意味を変えようと目論んでおります。
「だれも知らない建築のはなし」観て、憧れのスター達も悩んでるって知ったしね。
もう、そんなに頼っちゃいけない。微力だろうが、岡も建築の危機を救う努力をしますよ。
開かれたマーケットや、インターネットを使って、建築を「商売の道具」から解放するんです。
命の為の建築。
岡啓輔の人生を捧げますよ。
プラスめっちゃ祈る。
自分の力を超えてまで、どうかどうかこの建築にたずさわる人々が幸せになりますように。
このあたりが建築の本質でしょうよ。

引き篭もって、布団の中で考え続けていたけど、一旦ここまで。月末締めですんで。




 








2015年4月28日火曜日

ドンと来い!

ちょっと絵を描いた。
一階周りにワサッと大き目の庇をつけて、休憩所みたくしてる絵なんだけど、
雑なデザインの蟻鱒鳶ルは、何がどこにくっついても全然平気なのである。
バシーっとキマリ過ぎてるハイなデザインのヤツはこうはいかんからね。
そういう意味でも、蟻鱒鳶ルは長寿命を可能にしている訳よ。
未来で、誰が何くっつけてもヘッチャラ。
ドンと来い!

2015年4月26日日曜日

考えて鱒。

考えなきゃいけなかった問題があったのだけど、ほぼ無視していた。
それは僕が建築を続けている中心と言って良いくらいの大きなテーマだったはずなのに。
その事をやっている人達は沢山いるし、そんなに、蟻鱒鳶ルのやるべき事を広げちゃったら、二兎を追う者一兎も得ず状態でボケボケになるだけだと思ってパスしていた。
でも、もともと長い事考えてきた事なので、他の邪魔をするどころかピタッときてて役満揃ったってくらいうれしい。
よくわからない装飾の感じとか、ゆるく不恰好な感じとかも、そういう事を思ってだった。
それは、岡画郎という場所を開いていた事、道で踊っていた事に結びついていく。
誰も排除したくない。
沢山の人と出会いたい。
公共という言葉は、上手く使えないけど、
世界を、風通しの良い場所にしたいのだ。

「一階は何に使うのですか?」の質問にいつもモゴモゴしていた「ご近所さんが、気軽に来れるような、、」とか半端な事言っていた。
誰も排除したくない、などと言い岡画郎頑張ってたけど、上手くやれなかったし、。
弱気になってた。

今から、航空機と新幹線とリニアとが混じり合う巨大なターミナルシティーに変貌しようと再開発が進む街に蟻鱒鳶ルはある。
様々な人々がこの街にやって来るだろう。
未来を、排除、隔離、格差みたいにバラバラになっていく感じじゃなくって、
多様性、共存、みんなで世界作っていこうぜ!オー!!みたいな感じに持っていきたいのである!
その為に微力岡も頑張る。
可能な限り「一階を開く」努力をする。
この思いを持って、再開発とちゃんと向き合う。
頑張ってプレゼンせねば!!

2015年4月24日金曜日

ヒゲ

勢いで、想いを描きなぐった絵を、石山修武さんに絶賛され、
ショボい僕は、それが怖くなり、そっと撤退するような絵を描いた。
無理無理無理無理!俺なんかにそんな絶対無理!!
全力で逃げようともしたけど、
その絵こそが僕のたった一つの希望で、そこを避けたら、僕の命は萎みきっと徐々に死ぬしかなかったはずだ。
中国共産党に憧れ政治家として頑張っていた父が、天安門事件を境に希望を失くし、数年で徐々に死んでしまったようにだ。

怖くて怖くてたまらないけど、逃げる事は出来ず、着工してしまった。
石山修武さんに、何を褒められたのかすら判らない頭でだ。
友達と馬鹿話したり、呑みまくったりして、あまり 本質は見つめないようにして、自分の出来る事、理解出来る事をほんの少しづつ消化しながら進んでいった。
褒めてくれる人などほとんどいなかったけど、
応援するように、グッと尻を押してくれる友人は少しいた。
意味が無い。道楽ですか?そんな声が圧倒的に多かった。
当たり前だ、やってる本人も何やっているのか半信半疑なのだから。
三年くらいムリクリやれば完成するだろうから、わからなくても良いでしょ。闘ったフリして逃げ切るという卑怯な手も隠し持っていた。
俺なんかに無理無理無理無理!
卑下、日常。


着工10年近くが経ち、最近は褒めれれる事も増えてきた。
言葉とかじゃなくって、感情全部で褒めてくれたり、、

今日、名古屋から来た人が、僕がある聖者に似てると言った。
その人は、キリストやブッダのように奇跡を起こせるタイプじゃなくって、意思なんです、、。

あまりの言葉に少し戸惑ったけど、少しわかっている。

僕は、ショボい。
だけど、言い訳しながらでも、ムリクリ勇気を引っ張り出して、作り出し、作り続け、本当に素晴らしい悦びを得た。あんなに絶望していた僕がハッキリとした希望を掴んだ。
価値のある経験をしたのだ。
まだ、この一つくらいだけど、人に伝える価値のある事を知ったのだから、伝える係りをやんなきゃいけない。

卑下ってる場合じゃねえぞ!

2015年4月22日水曜日

鶴終わって夏。

先ずは、何より、考える方法を考える。
十代の頃、一年間臨済宗の御堂で座禅を組んでて、その頃からずっとそう。
肉を食うべきか、食わぬべきか?一年間肉食をやめて考えようと考えた。
簡単に思える問題意識もだいたい年単位で考える事にする。
部屋で考えるよりは、サッと街に出て歩き続ける。グングン歩きながら流れる景色を見ながら考える。
山籠りも時々。終電で奥多摩行って登って考える。
高山建築学校にも籠る。
悩み事をフリーペーパーに書いて出す。
イベントをやって、表現をやる。
曝け出して、脱ぐ、で踊る。
建築現場で考え続けたかったから、現場で働いた。
ま、呑んでグチャグチャになって、相談する、とか。
最近は、裁縫!縫いまくり、で考える。

頭の回転は大したことない、のでいつもこんな風だ。

石山修武さんのW.S.が終わってほぼ一年、
「鶴の恩返し」が終わって数ヶ月、
コンクリートを少しづつ打つというアイデアが出てきて、やっと腑に落ちてきた。
無理っしょ!無理っしょ!と逃げかけていた気持ちを引き戻し、
岡啓輔やるべし!!に高めてきた。

でもリアルに考えると考えるほど、恐怖は更に高まっていった。
その頃良く「絶望を乗り越える事でしか希望を表現出来ない登山家のようだ。」と書いていた。






2015年4月20日月曜日

亀から、鶴へ

石山修武さんのW.S.で勢いに任せプレゼンしたけど、その後、急激に現実を考え出し「無理っしょ、、。」としょげていった。
それでも、どうにか、その理想を現実化する方法を模索し続けてはいた。
2002年の春に、マイアミが企画したイベント「ツルの恩返し」(@京大・吉田寮)で、建築についての考えを発表してくれと頼まれていたので、その冬は、毎日毎日ただただ考え続けていた。
マイアミの「カッコつけるな!フルオープンでいけ!!」の言葉を胸に、正直に、正直にと気をつけながら考えた。
その考えは「レッツゴー岡土建3」として印刷し、撒きまくったのだけど、今読むとなかなかのショボさである。
整理されず、混乱しまくっていて、でも、なかなか正直にその頃の不安とかを書けている。生活を成り立たせたいのだという切実な思いとかもちゃんと書けてる。
そして、イベントでは、そっとズボンとパンツだけを脱ぎ、
「恥ずかしいんです、だけど、この恥ずかしさを利用して、踊りたい!白々しいことでなく、僕の中で今、リアルに巻き起こる感情を表現に持っていきたい。こんな感じで建築を作りたい!」
そんな事を話した。
フリーペーパーでアレコレ言っても、人前で話したいのは「即興で建築を作ってみたい」という一つだけだった。

亀風呂

亀風呂は、とても小さな建築。
作ったのは、だんご三兄弟の流行ってた頃だから1999年か、。
いろいろダメで絶望してて、建築家になる事など、ほぼほぼ諦めててグッタリしてた頃。
長い事、同じ師匠の下で稽古を積み、大道芸など時々一緒にやっていた友人の亀から「風呂作ってくれ」と依頼があった。
金は?
「10万」
うん、だったら土日で作るから、数ヶ月かかるよ。
で、最初に条件全部言って、ちゃんと守るから、
でも、その後は、注文つけないで、オレ凄い考えながら作りたいんだ、、。
「良いよ」
そんな約束でスタートした。

僕は、あやふやなやり方でなくキッチリと答えを出すように設計と施工を進めた。
釘でとめるべきか、ビスでとめるべきか、接着剤か、、?
そんな事を、一週間考え続けるような作り方だった。
岡啓輔の全力でこの小さな建築を作ってみたい。そんな想いだった。


二階建てで、一階は沸かすのを置いてるだけ。二階が浴室。
浴室に窓は無く、透明のポリカの屋根に車がついてて、ガラガラと移動し完全な露天にもなる。
屋根を少し開け、梯子でトントンと下り、風呂に入る。
屋根の上のミカンの木に照明がブラ下がっていてポリカ越しに浴室をゆらゆら照らす。

作り終えとてもうれしかった、そしてハッキリとわかった事があった。
図面描いて考えてるだけじゃ、決して考えつかない事がある。
自らの手で作りながら考える事。
ドン詰まり、行き場の無かった僕にとって、それはやっと発見した、広々とした場所だった。
この芽生えはじめた考えを、何年間か発酵させ「セルフビルドで即興的に作る」というアイデアに秘かに高めていった。
そして、石山修武さんの前で、アワアワとプレゼンしてしまったのだ。

2015年4月16日木曜日

反省

僕の「考える」のかなりは反省だ。
昔の日記や、絵、を見返し、今はとっくに忘れてしまっている気持ちや、考えを復元するかのように思い出し、それは何だったかを考え、今の考えと合わせ、つながりとかを考える。
ただでさえちっぽけな自分なのだから、過去の自分も引っ張り出してきて、岡啓輔総動員で考える感じにするのだ。
自分の筋くらいはちゃんと通したいし。
最近は、蟻鱒鳶ルを作り出す直前の頃の事を考えていた。
このあたりに、蟻鱒鳶ルの最終コーナーを曲がり切ったあとどうやって作るのかの大切なヒントが埋れてると思っているのだ。

先日、トクリンが、僕が結婚した頃に書いた文章(ミニコミ気分で印刷し皆に配っていた)を持ってきて見せてくれた(写真)、たぶん、ちあきと「家を作ろうか?」と話しはじめた頃だろう。
建築で暮らしを立てよう、仕事下さい的な文章だ。
少し前に、亀に依頼され「小さな二階建ての風呂」を完成させ(NHKが短い番組を作ってくれたし結構褒められもした)、小さな自信を得ていた。
この亀風呂は、透明な建築がちょっと動き出すような表情をしていた。
なかなか何も出来ない、僕や亀への「動こうぜ!」っていうメッセージを込めた小さな建築だった。
グッタリと絶望していた後、やっとやっと、ちょっとでも頑張んなきゃ、、という文章。

昨夜、屋上で洗濯物を干しながら、小川てつオのお父さんが昔言っていた言葉を思い出した。「反省反省で半生が過ぎた」。なんでかずっと覚えている。
アレは小川父50才の言葉だったかも知れないな。
オレも今年50才、反省に磨きをかけよう。

2015年4月11日土曜日

昨日、岡崎乾二郎さんのツイートを見た。

【映画に勝手にキャッチコピーをつけると「高度成長期のメタボからバブル建築に吸い込まれ時代の寵児となって、建築というマボロシを演出したタレントスターたちの真実の告白」(一時は政治家や土建屋も惑わす難解な思想めいた歌をうたえど、もはや誰も聞く耳をもたず)】

【建築家の考えはもはや空転するだけ。まして日本の建築家は所詮世間知らず世界に出ても思想がないから議論にならない。その傾向は今後ますます悪化の一歩。こう、かつてのスターたちが嘆く映画を見た。環境や地域にやさしい、とか実は他の業界もする当然の消費者サービスを努めるしか営業目標もない。】


僕などはそのスター達に感動し興奮し憧れ、ほとんど盲目的に追従してココまでやってきたようなモノだから、なおさら反省し考えなきゃいけない、考えなきゃ本当につまんない事になってしまう。

建築家は、世界にヒントを与える仕事が出来ると、僕は信じている。
だけど、自分をどうブランド化し、プチスターになる事ばかりにやっきになってる人が多過ぎる気がしている。
あるスター建築家が言っていた。
自身の家具のデザインについてであった。
中国などに簡単にコピーされないように、デザインにわざと難しい加工などを入れ込む必要がある、、。

ダメだこりゃと思った。

岡崎乾二郎さんの気合いの入った文章が「建築と日常」の最新号にあるそうです。
勉強しよう。
石山友美さんの映画も、もう一度行こ、ガン見せねば。

2015年4月10日金曜日

産経新聞で見開き!

4/7(火)の産経新聞夕刊の真ん中にドーンと見開きで出して頂きました。
(近所のコンビニには売ってなくって、僕も今日はじめて見る)
取材してくれたYさんは、大阪からわざわざ三日間出張で来て、初日には、二人で酔っ払うまで呑んだりしてね、とても楽しい取材でした。(二日酔い顔でスミマセン!)
先日アップした動画もYさんが撮ってくれたものです。

Yさんが、ただの仕事としてやっているという以上にちゃんと興味を持って、リスペクトする思いを持って取材をしてくれたという事がとてもうれしかった、とてもありがたかった。

最近、取材依頼はかなり多いんだけど、「仕事なんで〜」みたいなのにつきあう余裕はありませんので、どうぞどうぞ、よろしくお願いします!
あ、「仕事なんで〜」レベルの人で、どうしてもという人は、(大人一人を一日拘束するのに、当たり前のギャラ)をお願いいたします。

雨多し四月

昨日は、テレビの取材だったのだけど(TBS.夕方のニュース番組の特集コーナー、沢田マンションと蟻鱒鳶ルだそう、来週火曜日予定)その途中で、珍しい訪問者があった。

京都でサラリーマンやってた時の上司、山口さん。
「岡、京都支店の皆覚えてるか?」
「結構覚えていますよ、、山口さんていましたよね」
「それ、わたし!」笑
僕が変な設計(居間が四畳半)して、お客さんが気に入って困った、、とか。
定年退職して、福岡へ行き竹細工を頑張っているそうだ(写真、頂いた)

ロスから来たオシャレなアメリカンギャル三人。二人は学生。一人の父親は建築家だそうだ。
いつも、ブログを見てくれていて、やって来たそうなのだ!(このブログを一番見てるのは当然日本人なのだけど、その数の一割くらいの アメリカ人も見てくれている)
ディレクターさんに通訳してもらいながら、案内。
「コレ、好き、」と何度も行ってくれる。うれしい。
又、必ず来ますと言ってくれた。


こうやって沢山の人が見に来てくれるなんて、
夢みたいだ。

2015年4月8日水曜日

プカプカ妄想

今日、石山友美さんの映画「だれも知らない建築のはなし」を観て来た。
友美さんが建築の学生だった頃知り合っていて、十数年会っていないのに、連絡をくれこの映画の試写会に招いてくれたのだ。
映画は、僕にとって十分に面白く、勉強になった。

最近の、表現をしない感じの建築の流れは、いささか欺瞞ぽく、胡散臭く感じているのだけれど。(これまでの作家、作品的なモノ、を古いモノとして攻撃し、とても簡単に次の正しい答えに辿り着いてる感じとか、、)

この映画の副題「建築家に未来はあるか?」という問いは、
磯崎新、安藤忠雄、伊東豊雄、ピーターアイゼンマン、チャールズジェンクス、レムコールハース…………ら、世界のビッグスター達にとっても、リアルでとても大きな問題であることを知った。

岡の簡単な現代建築史理解はこう
*誰もが参加可能な夢のモダニズムがダメになった。
*ポストモダン、デコンなど、哲学を引っ張り出したりして、新しい流れを作ろうとしたけど無理。難解度は増し、建築の共通言語がドンドンなくなる。
*大きな流れは、もう無く、個人個人が、それぞれの論を組み立てて、突き進むしかない。石上純也さん、中山英之さん、平田晃久さんとかみたいな感じ、。
*(個人個人が、頑張って)は、凄い難しい。ついていけなさ過ぎる。
311を境に「作らない建築家」とか。皆飛びついてる、、。

だから、僕の態度は
「易きに流されちゃダメだ、とても辛いけど困難な道行くべし!」だった。

だけど、今日の映画を観ていて、俺も⬆︎こんな事を言って終わってちゃダメだな。もう少し考えねばと。
「建築家が必要とされていない」という問題はリアルなのだ。


それと、別の話し。
今日、観終わって、石山さんに挨拶したら「岡さん、今度、イベントなどで話してもらえますか?」と言ってもらう。(内心、小躍り)
で、夜、風呂でプカプカしながら妄想してしまった。
「安藤忠雄と、コンクリートについて対談したいな、、、、そして、ゆくゆくは、一緒に何か作りたい、、、」
二人で、今現在、普遍性の可能性があるギリをついたコンクリートを作りたい。
妄想はタダ。

産経新聞さんに取材してもらった

2015年4月5日日曜日

ラジオつけてます、キラクラ。

三日前のこと、名古屋の大工中村さんが来たので、藤巻と亀も呼んで呑んだ。
藤巻も亀も自力で家を作ろうと数年前に土地を買っている。
だけど、なかなか最終設計が決まらずに、着工出来ずにいる。
この状況は苦しい。励まして、ケツ叩く会である。
でも、二人とも元気であった。
ズーッと考えているのだ。
「自分は、何を大切にし行きてゆくのか?それをどう建築に反映させるのか?」
それが、建築の絵に全て現れる。
話しを聞いていて、コレは良いことだな〜と思った。

先端の建築家が、先端の理論で建築を作る事とは、まるで違うのだけれど、とても重要な設計方法だと思った。
絵に出来たら、それを自力で作らなきゃいけない。
いい加減な思いは、おそらく完成まで持っていけない。
それぞれ自分の人生と照らし合わせて考え抜かなきゃいけない。
俺もそうだ。
考え残してることを、ちゃんと考え抜かなきゃいけない。
うん、流行るといい!

寒い&ジメジメ

昨日、来鳶ル者に尋ねられた。
家は余っている。なのになぜ作るのか?と。

人類の長い夢は餓死のない状況を作ろうというモノだった。
豊かになる、という。何千年か。
で、この数十年でいくつかの国はそれに達した。
達したんだから、次の夢を描くのが、今の時代を生きる人の使命だ。
なのに、それをやろうとせず、相変わらず豊かさしか追えていない。
結果、生きづらく、絶望は救われず、自殺者三万人という大変な状況。
僕は、「モノを作る悦び」は次の時代の大切な価値観になると思っている。
芸術でも良いが、それはフツーの人には難しい。
内的な必然性が無いのだ。
だから、衣食住の事が良い、理由を問わずとも、すでに作る必要があるからだ。
作りはじめさえすれば、芸術家と同じように、作る悦びが湧き上がって来る。
絶望して、命がショボンでいた僕は、蟻鱒鳶ルを作ることで、希望を取り戻した。
実証してる。

雨が降ってて、布団の中で。

3月31日に「考えるの一旦やめよう」と思った次の日、夜中に目が覚めドッとわかった。
こんなツイートしてる。
【@OkaDoken: 俺、今メッチャクリア、整理されてる。
答がガンガン上がっってきてる。でも、寝る。】
♩探すのをやめたとき、見つかることはよくある話しで♩っつうね。

文章力低過ぎなので、サラリと書けないんだけど
要点としては、
絶望していて、希望を見出す為に作り出したのだという事。

この事実をちゃんと見つめ切れてなかった。だから、事情で、現場の作業が止まったこの数ヶ月、ものすごい不安だった。ガタガタだった。
めまいとか経験した(他のことが引鉄だったんだけど)。何日間か、足を着いて歩いてる感が希薄だった。

ここでわかる結論の一つは、
作った先にとかじゃなくって
作る事自体が希望に直結している。ということ。
作る事自体がもたらしてくれる悦びに、この九年救われていたんだ。

2015年4月2日木曜日

花見をします。

明日4月3日、亀塚公園で花見をします。
亀塚は小さな公園ですが、見事な桜が咲いています。
今日、まだ満開、明日くらいから散る量が増え、桜吹雪が美しいと思います。
シートひいて、照明つけて、七輪で暖をとり、少しだけ食べ物くらいまで準備しますので、来る人は、食べ物、飲み物、芸、持参でよろしくお願いします!

どなたでもどうぞ。岡を知らない人でも。

時間は五時半から、もし、迷ったらピッチ鳴らして下さい07054654792。
暖かい服装で!!

2015年4月1日水曜日

4月1日

最近は、トークショーとかで呼んでいただいて、人前で偉そうに話す機会が増え、ついつい「岡も成長したもんだ」気分に浸ってしまうんですが、んな事無い。
弱っちくて、スカスカです。
人間の基本はポロポロ崩れそうな弱さだな〜と、最近よく思う。
自分のギリギリさとか思う。
やっとやっとこの蟻鱒鳶ルを作る状態をキープしているのだという事をとても強く思う。
まれな状況なのだ。
一夜にして、ガラガラと崩れ去っても何ら不思議は無い。

それでも、どんなに弱っちくても、この蟻鱒鳶ルにとって岡啓輔という縦糸が先ず通っていないとダメであり、その係はまっとうしなきゃなんない。

そして、また逆に、岡啓輔という縦糸は、蟻鱒鳶ルを作ることによって紡がれている。
希望とか、使命とか、悦びとか。そういうことを学び、紡ぎ続けている。

そういう関係のようだ。

沢山の人に応援してもらい
夢みたいじゃないか!

蟻鱒鳶ル着工前、寝れなくて夜中に書いた「希望」
友人に言われた「誰もが持ち得ない、まれな、望みだ」

さ、新年度、頑張りまっしょい!