2014年3月31日月曜日

も一つ

酔いつぶれて寝て、朝グラリと起きる。
立派な人々を見過ぎて、天晴れ過ぎる人を見て、自分がショボショボにしか思えなくて、グテグテの呑みだった。
そして、二日酔いだ、情けない。
昨日のシンポジウムを思い起こしながら泣いてしまう。まったく馬鹿みたい。
必死にヤンなきゃダメだ。頑張るしかないのだ。

決め切れないことに無力感を感じ、いつの間にか、いつものように言い訳のような方法を探している。キレーな言い訳をこさえることに僕の人生はかなりの研鑽を積んできてしまったので、自らを騙すのもお手の物。
自己欺瞞の取り除き方こそ、僕の今後の人生の主題やろ。
二日酔いの日など最高。
日頃少々立派ぶっててもボロボロでスカスカがポツンと寂しそうにいるだけだから、こんな日に、徹底攻撃して暴かにゃならん。
反省日和。


昨日のエクアンさんメモ
【計り知れないモノのほころび。大量なモノモノ。
ほころびを消すにはどうするか、自然を考え対峙し考えて作らないかぎりダメ
真面目にモノに対峙していない
人工衛星の中での暮らし、そんな極限状態でモノはどうあるべきか
自然観をシッカリもつ
浸透していく、一体になっていく
今ものづくりは落ちている。
勝ち得た時の安心感安堵感】

まったくだまったくだ。

どんなにショボイとわかっていても、俺の脳みそこそ俺の最高の相棒なんだから、こいつで考え抜かなきゃいかん。
再開発の事、今出ているくっつき案の事、考え抜かなきゃいけない。
しょうがないでしょ、その状況を切り抜けたなかなかのベストアンサーでしょ、
じゃ!まるでダメなのだ!
オレが、何をやりたいのか?そこにしか答えは無い。

どうどうと

石山さんが若い時に書いていた。
俺は、ジョーのように真っ白に燃え尽きたいんだ、それだけなんだ。と。
昨日のシンポジウムは、そういう石山さんの全力で突っ走ってきた軌跡を見せて頂いた。
言い訳が一切ない。どうどうと自分のビジョンを示し、その為に全力を注ぐ。
一個の人間がやれる最大の頑張り。人間を信じること、人との関係から全てが出来ていくという当たり前のこと。

俺の言い訳をやめろ。
俺の弱気を打ち砕け。

エクアンさんの言葉が良かった。
終戦の後、広島駅から見た景色の話。何もなかった。キラキラした瀬戸内海が美しかった。
凄惨な無があった。
在る物を、手でつかめる物、有を作りたいと思った。
でも、もう有り余っている。考えなきゃいけない、、もっと考えなきゃいけない、、、、。

安藤さんの明るさ、こうしたいんだというビジョンをやり抜くことの大切さを語られた。

言い訳なんか、誰にも通じないんだ。
どうどうと進む人たちを沢山見た。

宇宙は変わらない、人間が変わるしかない、そうなのだ。
俺も変わんなきゃいけない。

石山修武先生

この本は、僕がまだ高専にいた頃に出て、大興奮した。建築の領域がドカーンと広がり、とてもとても自由な感覚を得た。「石山修武」の名を知り、その石山さんが新建築で書いていた「高山建築学校への案内」の文章を読んで、いつか行こうと誓った。
石山さんが早稲田の教授になってすぐの頃、弟子にしてくれと研究室前で座り込んだりもした。
アホだ。アホ。
何度かワークショップに参加し、特に、蟻鱒鳶ル着工直前のワークショップでは「いいぞ!やれ!」とグンと背中を押してもらった。
昨日が27年間の早稲田での締めくくりのシンポジウム。
少し前に送られてきたメールにこういう文章があった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ただひたすら 建築の消費化されない部分に思いを集中させる
 現実が想像力を上回り 時を追い越してしまいそうな時代に
 そのことだけが 建築の誇りと栄光をつなぎとめる
 だから 答えはいつも決まっていた ——頑張るしかない」
                      石山修武
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
たまんねー、俺なんか、屁過ぎる。
シンポジウム良かった。昨日は、若い友人たちと呑んで、俺ヘロヘロのアホで、今朝、やっと、感動してる。泣く。
もっともっと頑張んなきゃだ。そうしないと俺なんかなんにもなりゃしねぇ。
頑張るしかない。
頑張るしかない。



2014年3月29日土曜日

自力建設!

今年のベネチアビエンナーレに高山建築学校が展示され、そこで配布するチラシを、高山チームで作ってくれた。僕はちっとも協力出来てないんだけど、なかなかのチームワークで頼もしかった。
ドーンと「自力建設」の文字。
蟻鱒鳶ルの掲示コーナーに今日貼ったんだけど、良いね!
自らの力で建設!!うん!!

2014年3月27日木曜日

スービバ

予報は外れ三時くらいまで雨。
今日はずっと豊洲のスーパービバホーム。
セメントなどを一回小さな軽トラックで運んで、2時過ぎに一トントラックが戻って来て鉄筋メインで二回目の運搬。(スービバ2往復は初めてな気がする。)
鉄筋は又値上がりしていた。D13、5.5mで一本400円(税抜き)。ちょっと値上がりしただけで、姉歯気分がムクムク盛り上がってくるダメな私。しませんけどね!

増税前のドタバタ買い物映像をテレビで見ながら「違うんじゃ無いか、、そんなに買い込んだら3%分以上、雑に使ったりして損するだけだ、、。」などとブツブツ思ってたけど、一日いたからね、洗剤とか、ゴミ袋とか、沢山買ってしまった。

鉄筋を下ろしている時、少し前に見学に来てくれた大阪の女性が又見に来てくれたんです。お土産までだよ、、。ありがとうございます、、。今日はドタバタですみませんでした。懲りずに又来てください!

もうすぐ桜ですね。三田の桜も今日開花かな。花見しましょ〜。

2014年3月26日水曜日

春だね、訪問者ラッシュ!

昨日は、訪問者が多かった。

10時ころ、三島で設計事務所を営む男性。新聞の切り抜き片手にジックリ見ておられた。

11時ころ、回帰船保育所の遠足。園児9人、先生3人、千秋とふくちゃんも。

1時ころ、慶應のアートセンター一行。森下さん、金沢舞踏館の山本萌さん、他四人。

そのあと梶間くん一行。ドイツ人の写真家(僕の写真を沢山撮ってた)。僕と同い年の絵描きの女性。

ちょっとして、漫画家のじぇんじぇん。友人のライターさんと、なんとなく取材になる。

で、早苗さんもひょっこり。

夕方前に高山軍団も集まり出す、ゴーへーくん、川ちゃん、中村さん、川ちゃん友人の彫刻家(石上純也の事務所の広報などもやっておられたそう)
で、終電近くまで、いろいろ話し合い&呑み。

31人の訪問でした。ポカポカで気持ち良買ったからね、写真は回帰船の園児たち。

2014年3月23日日曜日

蟻鱒鳶ル型枠選手権

藤枝さんの「赤子よ日記」出版記念おめでと〜飲み会の時に、関根さんが僕に「箕田の庚申塔〜これで型枠を〜、、。」とか言って一枚の写真を手渡してくれた。
箕田は、埼玉の鴻巣市にある地名。関根さんは「中仙道研究家」であり「庚申塔研究家」でもある。
鴻巣市は妻千秋の故郷で、箕田には親から譲り受けた土地があり、蟻鱒鳶ルの地下を掘った土が全て運ばれていて小さな山になっている。
箕田はミダと読み、蟻鱒鳶ルの建つミタとは因縁がある。
羅生門の鬼を退治したという伝説のある渡辺綱の出生地を巡って、箕田と三田は「綱引き」している。
数年前、慶応大学百周年記念の薪能で、慶應の教授が言った「三田は渡辺綱の出生地であり、その物語を慶応大学百周年を祝ってここで行なう、、、。」と。
海外からの来賓も多かった薪能の前節で、箕田は軽く無視される。
千秋調べによると、箕田の方が正しいようなのだが、東京の三田は力によってその史実をねじ曲げようとしているわけだ。ずるいぞ慶応大学!
何の因果か知らぬが、蟻鱒鳶ルは三田と箕田を繋いでしまった。
渡辺綱がそうさせたに違いない。

真実を追求する男、関根正幸は、だから箕田の庚申塔を型枠で作り、三田の蟻鱒鳶ルに刻むのである。

そして、東京大学数学博士のインテリ関根は、決して自分で作ったりはしない!
「これを作ったらどうだい」と軽く写真を一枚、労働者に渡すのみである。
どのデザインがイケてるか?なんて競っちゃって君たち程度低いなぁ〜、「真実を追求する心こそ美しいのだよ諸君!」と鼻で笑うかのようなインテリ態度での蟻鱒鳶ル型枠選手権参加である。

昨夜、呑みに行こうと蟻鱒鳶ルの前を通ったら、関根さんは、夜の蟻鱒鳶ルを三脚立てて撮影していた。トコトン立派な男である。

2014年3月22日土曜日

昨日の妄想

笑っていいとも!でタモリさんが、番組ぶっちぎりでAB首相に懇願。
「どうか、三田の蟻鱒鳶ルを残して欲しい!オレも作ったんだ!!」
AB首相「いいとも〜!」

もう一つ。
どこかの学校で雇ってもらったら、授業テキトーで部活を作る。
「建設現場部」は授業終了後毎日コツコツ作る。
学校に毎年小さな建築が作られていく。
実践的な経験だし、楽し過ぎるし、部員殺到!
あっという間に全国に拡がり、十年後くらいには全国大会も行われる。
甲子園球児のような純真さで建設の素晴らしさを宣誓し、
夏休み全部ぶっこんで、全国の建設現場部の若者が合宿し皆で協力し作る!
日ごろ、ダレて手抜きばかりしてるゼネコンの社員達が号泣!

さ、午後労働頑張りまーす。

2014年3月21日金曜日

3月

引っ越しシーズンに、消費税UP前の駆け込み需要が重なり、レンタカー屋にトラックがありません。
ジャリ砂を買いたいんだけどしょうがなし。
バンバン打ちたいとこなんだけど、、、。

こういう時にニヤニヤと装飾っぽい造形を作っちゃうんですよ。
いつもとちょっと違う時間が現場に挿入され、実験的なことしたり変なこと考え出しちゃったりしたり。

3月も後半、もう直ぐ桜も咲きます。
パーッと明るい春にしたいね。

今日から三連休だそうですね、
僕は仕事の後、友人の漫画家・藤枝奈美絵さんの新刊発売記念サイン会に行って、呑むね。
「赤子yo!日記」みたいなタイトル、、。

2014年3月20日木曜日

再開発のこと、全部は書いちゃいけないだろうからチョイ報告

先週、(岡担当)の方たちに呼ばれ、いろいろな提案がなされた。
曳家(レールなどで建築物自体を動かす事)の可能性についてきかれる。
その時僕は、「どうしてもと仰るのであれば、、でも、とても辛いし、、そもそも、再開発側をちゃんと信頼出来ていないので、途中でこかされるんじゃないかとか不安です」というような事を言った。
そもそも曳家って本気か?10億とかですむのか?そんな額かけてやる気あるのか?それは嘘で、何か、良からぬ悪巧みが裏っ側にあるんじゃないか?と疑っていた。
でも、そのあと建築関係の友人何人かに相談してみると「そんな額はかからないだろう。ブランドのあるスーパーゼネコンがやると言っていたら本気でやるはずだ」と多くが言い、そうだろうなと今は考えている、、、。

急に呼ばれた真ん中の理由は、「曳家などの案もあるけど、どんな案で行くにしろ、前提として蟻鱒鳶ルを法的にシッカリしたものにしたい。」ということ。

今、蟻鱒鳶ルは、完了検査を受けない方向で進めている。
僕個人、蟻鱒鳶ルだけのことであればそれでいいのだけど、再開発の一部としてそれはダメで、その為にその辺りをキチンとしたいと。後からになるからとても大変だけど頑張ろう、と。

その辺りのことを、火曜日に名和さんのところに相談に行き(もう一度、構造計算などが必要なので)快く引き受けてくれた。いつも心強い!

で、今日は、名和さんが引き受けてくれた事の報告と、先週から考えたことをいくつか説明しに再開発事務所に行った。
まず、数メートルの曳家は条件次第で我慢するけど、何百メートルの移動はやはり嫌だ。という気持ちの説明。
地下でやる千秋の商売の為にも、そんなに奥に持っていかれちゃ困る。
一つ一つの窓や形状に意味があり(この窓はこれが見たくて作った、とか)大きく移動してしまったら、意味が失われてしまう。
植物がその土地に根を張るように進んでいて、引き千切られるようで嫌なのだ。など。

新たな提案も出る。(まだそれで、上手くいくかはわからないらしい)
敷地外に出すことが出来ないなら、他の建物を蟻鱒鳶ルにくっつけたい。
(理由は、再開発内に200m2以下の小さな建築はルールで作れない)
くっつけて200m2以上にしたいが可能か?
ニヤリとして、どうぞ。と答える。ただ平屋くらいにして欲しいと。
しかもですよ、超カッコいいので。
妹島和世さんとか、、、。(わかり易く言ってみただけです!)

蟻鱒鳶ル、誰とくっつくんだ!
恋愛か!
もしこの筋で進むなら公開お見合い(コンペ)とかしたいね!

写真は、HAPSトークショーのお土産(打設の時に余ったコンクリートを小さな紙コップで固めたモノ)。蟻鱒鳶ルの子供たち。良いでしょ!

京都HAPSでトークショー

3月7日、京都祇園のHAPSでのトークショー「ひとりでビルを建てる男・岡啓輔がやって来るヤーヤーヤー!」は、とてもとても有難く貴重な機会を頂いたわけで、とても重要な会になりました。
今の今、どういう感じで考え進んでるのか?というトコロまでは、まとめ切れなかったのだけど、なぜ蟻鱒鳶ルを作り始めるに至ったか?というトコロは、ちゃんと話せたと思っています。

(話せた)というより、やっと、あの場でハッキリと(わかった)感じ。
こういう機会を頂き、その緊張する会に向かって考えて考えて、やっとやっと言葉に出来た。

15歳の時、高専の建築学科に入学して直ぐの頃に抱いた疑問をずっとずっと今まで考えていた、それが軸になり様々な事を行動してきていたという事にやっと気付いた。
15の疑問にやっと答えれた。

それを、文章にしてこのブログに書ければいいんですが、それはまだ岡には無理。
HAPSで、一時間かけて、シドロモドロ、どうにかこうにか、やっとやっとなんです。

この企画を立ち上げてくれたマイアミありがとう。
建築サイドから全体を見渡し、構成をちゃんと考えてくれたRADの木村さん、本間さんありがとう。
企画の最初から考えてくれ、蟻鱒鳶ル帽をかぶり受付、司会いろいろやってくれたカワモトさんありがとう。
HAPSのみなさんありがとう。
そして、何話すかもわからぬ男の4時間ものトークショーにお金まで払って来てくれた勇気のある参加者の皆様、本当にありがとうございます。

僕は、このトークショーでとても大きな希望を得ました。

ヨシ!いくぞ!!京都の人たちが真剣に聴き続けてくれたんだ、あの顔に間違いは無い!!!この一本道を進み抜くだけだ!!!!

雨が降って、やっとブログが書けました。

*写真は、高専の頃から友人、永松のFBから。

2014年3月19日水曜日

再開発のこと

ここ数日同じパターンで夜中に数時間目覚め考え事をしている。
数日前、再開発の岡担当者3名に呼ばれ、いろいろな提案があり、それについて昨日は名和さんに会いに行き相談をしてきた。
名和さんはとんでもなく忙しいのに、とんでもなく素晴らしい人でかなりめんどくさそうな作業を「わかりました、やりましょう」と直ぐに引き受けてくれた。
名和さんの相棒サナダさん(経験値高し、腹座ってる)が又、頼もしくいろいろ為になる事をダダーとレクチャーしてくれる。
ありがたい。

最近、うれしすぎることが沢山あった。京都のトークショー、Aさんとの出会い交流、その他モロモロ、モロモロ
たまらないくらいの勇気をもらっている。
僕の味方は希望だぜ。
チンケなニヒルを爽やかにねじ伏せ、希望を膨らませて進むのだ。

掟破りの石窓も素直に考え切れている。
ポロッと思いついたアイデアだけど、それは蟻鱒鳶ルの希望を語る重要な一手で、その為に準備してきたかのようなバッチリな位置も、サイズもすでにある。

そして、これくらい書くと眠い、グンナイ!

2014年3月18日火曜日

いいアイデア。

夜中二時、一時間くらい前から目が覚め考え事。
明日は、名和さんに相談に行ったりと悩み事も多いんだけど、違う筋の事を考え出してる。
一つ、まったく良いアイデアに至る、ニヤリ。これはイケる。
藤森照信さんに「石は使うな!」と釘を刺されたけど、無理。
あの夢のようなパーティーで拾ってきたキラキラするカッコイイあの石を使おう。
これは、大切な祈りで、大いなる希望だ。

2014年3月14日金曜日

ブログ

冬高山、母上京、京都トークショーと続き、今日は再開発で蟻鱒鳶ルどうしよう会議で具体的な事が動き出したりしていて、ブログに書かにゃならん事が沢山あるのですが、いなかった東京での用事がわんさかたまっていて、手が回らない状況です。
今、gmailが開けないことになってて、その復旧もやれてないんです、、何か急用のある人はTwitter、フェースブック、電話でお願いします。090-3104-3932。

2014年3月10日月曜日

昨日のツイート

@xxmasaki: たこ焼きと岡啓輔さん @OkaDoken について - 先日 たこ焼きの屋台の前を通りがかったとき(関西ならではですね) 屋台のファサードにでかでかと 「食べたらわかる」 とだけ書いてあったのを見て... http://t.co/Ysr1ErKjiM

2014年3月8日土曜日

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写真は、造形作家堀林さんが作ってくれた蟻鱒鳶ル帽子。帽子になってて皆被って笑ってる。
3Dプリンターで作ったのか!と思ったけど堀林さんが、写真を見ながら手作りしたそうです。
すごいね。
この企画は「予言と矛盾のアクロバット」プレゼンツなんだけど、予言と矛盾のアクロバットってすんごいカッコイイよな。かっこいいよなあ〜。

2014年3月7日金曜日

羽田でマチボウケなう

石山修武さんが、鈴木隆行さんについて書いてる文章を見つけた。
鈴木さんは、蟻鱒鳶ルがやっとヨチヨチ歩き出した頃、時々見に来てくれていつも全力で褒めてくれた。何度も酒を呑んで、僕の泣き言をニコニコ聞いててくれた。
 

元ダムダン鈴木隆行君のこと 大図解九龍城

076 元ダムダン鈴木隆行君のこと
 鈴木隆行君が亡くなった。九月六日夕方、病院で独人死んだと言う。何年か前、深夜二時頃だったか淡路瓦師山田脩二と二人、酔って世田谷村に、あれは明らかに乱入だったが、訪ねてくれて会ったのが最後になった。
 鈴木君はダムダン空間工作所では私のスタッフだった。幾つもの建築をつくる手助けをしてくれた。伊豆松崎町の伊豆の長八美術館も彼の手助けによった。誠実な設計家だった。
 最後に会った時の印象は、真夜中の歓迎されざる客であった事もあり、どうしたんだ鈴木、しっかりしろよ、と言いたい位に良くなかった。ヒゲだらけの顔ばかりでなく、体中から疲れと投げやりになっている感じがにじみ出ていた。
 私が良く知っていた鈴木君との余りの違いに仰天した。彼はキチンとした野心も持つ男だった。香港の九龍城調査を熱心にやり遂げ、立派な本にまとめたりもした。そういう事にのめり込むパッションがあった。しかし自身の内にあるカオスをそのまま容認してしまうところがあった。だから、それぞれの仕事にものめり込んだ。彼をオペレーションするのにも、それ故エネルギーが必要だった。一言で言えば、情熱と馬力が彼のカオスをそのままにしていた。一緒に乱入してきた山田脩二にもそのようなところがあるが、山田には不思議な矜持があって、決して崩れる事がない。自分のライフスタイルへの淡々とした自信がある。だから山田は湯布院に居をかまえ、淡路島に移った。決して都市では暮らそうとしなかった。都市は山田にとって泥酔する場所でしかなかった。
 鈴木君は晩年、東京で呑み屋を開店して、そこのオヤジになっていたと聞く。私は一度も訪ねなかった。彼は都市の中心で生き続け、そのカオスの中に死んだ。
 九龍城の巨大な迷路に身をひたし過ぎた結末なのだろうか。

 鈴木隆行君は都市の迷宮の闇に独人、死んだが、私は彼の本当の姿を知っていた。
 純で直情径行、そこぬけに人を信頼して、明るく笑っていた鈴木君を知っていた。伊豆西海岸の午後の光のようにキラキラと陽気な彼を知っていた。
 人間の一生は一言でまとめられる程に単純ではない。しかし、独人で死んでしまった彼の記憶は、やっぱりキラキラとした人間を信頼しようとする笑っている姿にまとめられるのだ。
 スペイン・バルセロナで彼と遭遇した事があった。彼はきっとアントニオ・ガウディの建築と、カタロニアのキラリとした青空を満喫して、幸せだったろう。本当の自分に会えている充足の中にいただろう。
 いまだに、力不足でチャンスに恵まれぬままだが、私だってキラキラと底抜けに明るい建築、ガウディだって抜けていってしまうような奴を本当は作りたい。その情熱は連綿としてある。
 鈴木隆行君が生き続けてくれていれば、その建築を共にできたのにと、今はかなわぬ哀しさの中にいる。人間は生きなければならない。迷宮に踏み迷ったままに死んではならない。死んでしまった鈴木君に言う言葉ではないけれど、敢えて言う。
 もう少し生きていてくれれば、共に凄い、底抜けに明るく光る建築を作る事ができたのに、と無念でもある。
 彼が手伝ってくれた建築は皆、明るく、希望に満ちて輝いていた。それが彼の本体だった。そんな建築が残る限り、鈴木君を忘れる事はないだろう。
 光の中に彼は生きる。サヨナラ。
 石山修武


2014年3月6日木曜日

母来た。

親戚の葬式の帰りに母が現場にやって来た。
だいたい、呆れたバカ息子の文句を言いつつ、ちょっとだけニヤッとしてる。
「はぁ〜、お母さんに訊いたら、ちゃんとヨカ作り方ば教えてやるとに!」ニヤッ。
みたいに。
面白いこと言ったと思うとニヤッとする。

東京タワーから浜松町までタクシーに乗ったんだけど、優し過ぎる運転手さんで
「羽田行かれるんだったら、720円でイイですよ、私そっちの方へどうせ行くので」と!!

大都会東京にも、こういう優しい人がいるのだな〜と、母は嬉しそうにしていた。

2014年3月5日水曜日

京都でトークショー

蟻鱒鳶ルをどう作れば良いのか、なかなか考えがまとまらずボワ〜んとしていた頃
京都のマイアミから電話があった「今度京都でイベントやるんだけど、そこで岡さん、どういう建築を作りたいのかを話して欲しいんだ」
僕は恐れをなし「いや、、別に、四角いフツーのモノを建てるだけで、、、」
マイアミ「イヤイヤ、岡さん、そんな事無いでしょ、半年先だからジックリ考えて、、。」
みたいなやりとりがあり、
僕は、半ばしょうがなく「自分は、建築をどう考えてるのか?どう作るべきか?」を考えはじめた。

半年後、腹も決まらずオドオドしたまま舞台に立った。
さっきまでミュージシャン達が盛り上げ続けていた舞台で、
僕は、下半身だけ服を脱ぎ、
ワーワーと話し続けた。
服を脱ぎブラブラ、このどうしようもない恥ずかしさから、何か自然に動きが生まれ、更にそこからダンスが生まれるような、そんな流れを作りたい。
白々しいことをやりたくない。
そんな事を話した。

アレから10年以上経った。

また京都から、マイアミが誘ってくれた。
中間発表だな。
少しは見えてきた。少しは筋があることを話せると思います。
よかったら来てください。


写真は、友人マッティーが描いてくれた呑んでペラペラ喋ってる岡。
こんな男です。


冬高建3

川ちゃんは、去年から、地道にTASS WALLの修復作業をやってくれている。
図面を読み取り、作業手順を復活させ、壊れた理由を考えながら、新しいやり方を考案、、。
大変な作業だ、、。

雪の上で、何やら型枠を作ってるなと思ったら雪を詰め固め、雪ブロックを作り、TASS WALLに設置していた。

いいね!

冬の高山建築学校 2

去年描いた夢、「ゲキ寒の夜でも皆の真ん中に足湯があれば最高じゃないか!」を実現。
コンクリートを練るフネにお湯を入れ、金属容器に薪を入れ燃やし保温。
当然まだまだ改良の余地があり、あーすれば、こーすればと話は盛り上がる。
燃え盛る金属容器が船のようにプカプカしているのは、見ていて楽しいが、足を入れてる時は怖い、、。

カンジキ(靴につけ雪上を歩く道具)作りワークショップ。
ゴーヘー君が山形県の小国のタケシさんに教わってきたやり方で、タケシさん手製の鉄の治具を使い根曲がり竹をバーナーで炙りながら輪っかにしてゆく。
まん丸のタケシカンジキをつけてキレーな雪の上を歩くと、丸い花のような足跡が残り、とてもいい気持ち。

最後の日の夜、星空が凄かった!あんな立派な北斗七星は初めて見た!
ゴーヘー君が作ってくれたカマクラに入り、ロウソクで灯りをとり、倉田先生の造形論を輪読。ヨカッた!
そして野性力の高いゴーヘー君はその夜カマクラで寝た。
ちなみに、チョボい私は部屋の中で大量の布団を被っても寒過ぎてなかなか寝つけなかった。

冬の高山建築学校2014

3泊4日で、冬の高山建築学校へ行ってきました。(岡、相馬、林、川田)
今年雪は少なかったそうで、すでに道路にも屋根にも雪はなく、豪雪を期待して行った僕たちはちょっとガッカリ。
それでも雪パワーは凄く、サシダフィンガー一本と、フカノ飛び込み台はボキッリ折れてしまっていました。
去年の冬高山は二月頭で、昼間室内でホットコーヒーが凍るほどの寒さだったんだけど、一ヶ月遅いだけで、ポカポカの陽射しもあり随分ラク。(マイナス15度の朝もアリ)
働いて、食事して、話す。を繰り返す充実した合宿になりました。