2011年10月31日月曜日

1031晴れ

只今3時前。
とりあえず今日打つべきトコロは終わった。
予想よりちょっとだけ少なかった。
最近は一人打ちもミス無くやれる。
一人打ちのコツは、前日の綿密な段取り。と、当日慌てずに落ち着いてやる事かな。
兎に角作業種類が多い。慌ててると何か抜かしちゃって、オタオタしてグチャグチャだ。
ま、最近の私はバッチリだけどね。
写真の真ん中の上の方が今日打った型枠。
片付けよ。

2011年10月30日日曜日

1030 小雨降ってきた

明日、朝には雨は上がるようなので打つ予定で準備。
今日は久しぶりにコンクリートミキサーに油もさす。もう少し頻繁に見てやらないと駄目だなと反省。
小雨で人通りも少なく町は静か。ラジオが響く。

2011年10月29日土曜日

1029土 晴れ

アトリエムンバイ、ダムタイプ。2つとも良いイベントだった。
蟻鱒鳶ルも頑張んなきゃなんだが、なんとなくボワンとする日。
ダムタイプとか自分達の気持ちや問題意識に兎に角まっすぐ。
やるべき表現方法を発明し、後は、勇気を持ってドーンと実行。
見て感動して知ったのだから、見習わなきゃなのだ。

2011年10月28日金曜日

1028金 晴れ

アトリエムンバイのビショイ・ジェイン氏の講演に行く。
通訳無しだったので言葉の内容は解らなかったけど何を伝えようとしているかは聞きとろうと思い集中した(僕の英語力は中1以下)。
抽象的に考え、作る。は建築のスピードアップの為の技法だ。
ジェイン氏は逆。トコトンまで具体的にやる。材料、職人、場所、作り方、、、。
建築家は丁寧に丁寧に観察したそれらをやさしく統合する役に徹する。
日本でもそういう設計手法を言う建築家は多い。
でも現実的には上っ面だけだ。
ものには底無しの具体性が在る。そこに踏み込むのは容易ではない。永遠の時間がある訳じゃないのだ。
そこを可能にするにはジェイン氏のように本気な愛情が無ければ無理なのだ。

今のジェイン氏はとにかくとても素直なんだけど、ここで止まってもらっちゃあつまらない。
もっともっとニヤリの創造力が欲しい。しかも彼なら職人のニヤリな創造力をも建築に生かせるんじゃないだろうか。
勇気が貰えた。

2011年10月27日木曜日

1027

芸大なう。
スタジオムンバイの講演を聞きに来たんだけどすぐ下のスペースで知り合いの川染君とDJプリプリ氏(写真)の授業という名のライブが今まさに始まろうとしている。
あ〜こっちも間違いなく良い。

1027寝たい

これが非線形先生 関根正幸。
非線形先生は東大出た数学博士。
判りきった線形人生など歩まぬ。
人生ぶっこんで、自転車こいで、中仙道研究。
東京のこれぞというイベントには必ず出没。そして写真をパチリ。
非線形先生のお眼鏡に叶わなかったイベントは反省すべし。
これは、蟻鱒鳶ルをパチリする非線形先生のうしろ姿。

2011年10月25日火曜日

1025暑い27度

ん〜、これはジャンプが過ぎたか。
もうちょっと大人しめ狙いだったんだけど、いっちゃったね、いっちゃった!
ま、いっちゃったなら行くしかない!
まーあたしは世界一の非線形やからね。超非線形、ジャンプ在るのみ!

2011年10月24日月曜日

1024曇り

地球の成分、地中にただ静かにあった鉄。
人間様に都合が良い性能だったので掘り起こされ加工され建築の材料とされる。
鉄だけでは錆びちゃって、辛そう。
身を融かしながら相棒を待つ。
相棒も地球を成す砂、砂利、石灰石らから作られるセメント。水と混ぜられコンクリートと成り、急ぎ相棒の元へ。
合体したらなかなかの強者、鉄筋コンクリート!RC!
何十年もの長い間、人間様の暮らしを支えます。
有難い事だ。
コンクリートを流れる錆の跡も既に好き。
そんな事を現場監督池山くんに言ったら困った顔をした。

2011年10月22日土曜日

1022雨

作業は雨休み。
バスに乗って世田谷の等々力へ向かう。時間はかかるけど210円、乗り継ぎ無しでいける。
建築家石山修武がやっている「世田谷式生活・学校」。
311以降の生活、エネルギー、住宅、建築等々について。
311以前僕はエネルギーの事など何も考えちゃいなかった。当然の流れだと思って蟻鱒鳶ルではオール電化を考えていたくらいだ。
石山さんは河合ケンジ、フラーの流れで建築界では珍しく一貫してエネルギーの事を問うてきた人だ。
そんな人が原発爆発の今、黙っているはずがない。
ボッ!と燃えておられる。
今日のゲストは東大の松村(村松だっけ?)先生。この先生も面白い。日本の住宅問題を広い視野で見ておられていつも何かハッとさせられる。
学ばにゃならぬ!

2011年10月21日金曜日

1021曇りちょい雨

311で考えなきゃいけない問題がドガッと増えた。
自分の事以外の事が、それ以前とは比較にならないほど増えた。
ぼんやりと信頼していた世の中のシステムの脆弱さには驚かされっぱなしだ。
そういう事を気にもかけずボーっと生きていた自分はただ恥ずかしい。
それでも、僕のやるべき事は、この建築を作る事。
ここに僕の思いが描けなきゃいけない。

2011年10月20日木曜日

1020曇り

夕方5時半の写真です。
作業するのに最も良いこの季節はどんどん陽が短くなる。
俺とて焦ります。
今日は朝三十分早く作業をはじめてみた。
身につくかしら。

2011年10月19日水曜日

1019曇りちょい寒

本日は一人打ち。
地下でコンクリートを練って特性オカモチにセットしウインチで巻き上げるんだけど、
今日数年使った特性オカモチがボコッと壊れた。
作り直しかな。
写真のこれです。
コンクリートを盛った箕が4個入る優れモノです。

2011年10月18日火曜日

1018曇り、晴れ

明日打つ所です。
予定では6バッチほど。
左官仕上げがあるので後半の作業に時間がかかります。
バッチリにダンドったつもり。ミスがなければちゃんと終わる、はず。
OKA46頑張りやっす。

2011年10月17日月曜日

1017晴れ

やっと安全帯を買った。
ちょっと良いやつ9800円。
ベルトは飛行機の座席ベルトのようにワンタッチでカシャッと締まる。
足場にぶら下げといて足場に行く時にだけ腰にまく。
だんだん高くなってきた。落下など絶対あっちゃいけない。

2011年10月16日日曜日

1015深夜バス

脇坂信吾
高専からの親友、15からだから30年越え。
今日(1015)死んじゃった。
高専のある先生が卒業間近なころ授業中に言った「私は20年高専で文学を教えてるけど、脇坂君、あなたが一番理解してくれた学生だった」
脇坂の才能を信じていた僕は何度も言った「会社なんかやめちまえ!」
何ヵ月もしつこく言った。
脇坂は何ヵ月も悩んで「岡ゴメン、俺は貧乏が怖い。詩に自分の人生を賭けれない」と泣きながら伝えてくれた。
そのあと脇坂は仕事に頑張って独立を果たした。
癌だとわかった数年前「無理した。ストレスが大き過ぎた」と笑った。
死んで病室で脇坂を囲って数時間ご両親とたくさん脇坂のことを話した。とても良い時間だった。
「岡の家が見たい」と言ってた人がまた一人死んだ。
ごめんなさい。

2011年10月15日土曜日

1015雨、新幹線

丹下健三。
日本の国を背負って立ったような建築家。
モダニズムを日本に広く定着させ、一貫した強い論理を建築の隅々にまで行き渡らさせ「正しさ」を感じずにはおれない王道な建築家。
大江宏。
丹下の東大同級生、ライバル。大江はスロースターターで若い頃から爆進する丹下を意識し、丹下には無い建築を目指した。
丹下の生真面目で固い感じをヒョイとかわし、粋で遊びがある気ままな?表現に達している。
磯崎新。
丹下の弟子だけど早くに独立。80過ぎの高齢にも関わらずオシャレさん、頭脳明晰。
丹下の未来を決定するような「計画」という概念に異を唱え、未来に問題意識を投げかけるような「プロジェクト」が重要と説く。

大江も磯崎も、丹下健三という巨匠を基点にし思考した建築家なのだ。

岡啓輔。お恥ずかしながらまだパシッと言えるような筋はまだない。
ただ、正しさを装おったような建築にはムカつく。
人間が創りうるモノは、必ず論理的な整合性が破綻している。
そんな半端な建築を生かすには人間が真剣に挑んだ軌跡、作る事自体の悦び、そんなあまりにも人間臭い事がなきゃ駄目なんだ。と思っている。
蟻鱒鳶ルからは丹下健三のクウェート大使館と大江宏のフレンド学園が見える。建築を考えるのにバッチリな環境である。

2011年10月14日金曜日

1014曇り

先週打った型枠を外す。
単純で小さな壁なのだが、この一枚が増えた印象を色々な角度から観察する。
「なるほどこんな感じになったのか〜」
自分が作っているのに自分でコントロール出来ていない何かが溢れている。
次どうしようかと少しだけ考え他の作業に移る。
形は次のコンクリート打ちまでにどうにかしてアヤフヤなまま決定される。
デザインというより盆栽いじりのような感じで進んでいる。

2011年10月12日水曜日

1012水曜日

機能とか力学とか、そういう強い理屈が無く、どう作っても構わないという広大な範囲がある。
ここに新たな理屈を持ってきてもつまらない。
ここはニヤリとして楽しんだ奴が勝ちだ。

2011年10月8日土曜日

1008#2

僕の建築の師匠と呼べる人は、高山建築学校の校主 倉田康男くらいだ。
だけど先生が建築を語る言葉のほとんどは僕には高級過ぎて解らなかった。
先生は酒が好きで良く呑まれてて、そんな時に話される内容は幾分わかりやすく、そんな言葉を僕はたくさん覚えている。
大江宏は倉田先生の理解者で色々と関係があった人だったから、倉田先生は時々建築家大江宏を語ってくれた。その内のいくつかに僕はとても感銘を受けた。

1008曇り

中味に関係無くペットボトルの形で一服の飲み物を買う事が多々ある。
これはかなりコンクリートの入れ甲斐がある形だ。

2011年10月7日金曜日

1007晴れ

この一週間で磯崎新さんの講演を二回聞いた。
まずは大江宏のシンボジウム。
実は僕は大江宏のデザインに対する考えをいくらか引き継いでいるつもりでいる。その事を磯崎さんの言葉から確認。
昨日は311以降の事に関するシンボジウム。
磯崎さんは「計画」という概念自体に異を唱えている人だったことを知る。
だから彼は「設計」を教える大学に身を置かない。
一貫した姿勢。
僕も「計画」を疑っている。だから今のような作り方をしている。
おくればせながら磯崎新を勉強しようと思う。

2011年10月6日木曜日

1006晴れ

雨は朝には止む。
ビショビショの現場で型枠の解体からスタート。
昼頃には気温も上がりTシャツ一枚。
でも夕方近くなるとグンと涼しくなってくる。10月なのだ。
蚊ももう元気が無い。血を吸おうという気力が感じれない。

2011年10月5日水曜日

1005雨

フリーペーパーを出す為に柳田さんに蟻鱒鳶ルのスケッチを依頼している。
柳田さんは自身のフリーペーパー「建築新聞」の為にいつも建築のスケッチをしているスケッチマンだ。だけど蟻鱒鳶ルのスケッチにはかなり苦労している。
なるほどなと思った。
世の中のほとんど全ての建築は「絵」として考えられている。だから完成した建築をもう一度絵にすることはそんなに難しい事では無い。
だけど「絵」として考えられていない蟻鱒鳶ルは絵になりにくいのだ。

2011年10月3日月曜日

1003晴れ

昨日、福島の海で拾ってきた錆ボロボロの鉄板。
写真じゃわからないと思うけど人間の顔のように見える。
片面は涙ぐしゃぐしゃで、片面は呆然とした表情に見える。
蟻鱒鳶ルのどこかに取り付けます。