先ずは、何より、考える方法を考える。
十代の頃、一年間臨済宗の御堂で座禅を組んでて、その頃からずっとそう。
肉を食うべきか、食わぬべきか?一年間肉食をやめて考えようと考えた。
簡単に思える問題意識もだいたい年単位で考える事にする。
部屋で考えるよりは、サッと街に出て歩き続ける。グングン歩きながら流れる景色を見ながら考える。
山籠りも時々。終電で奥多摩行って登って考える。
高山建築学校にも籠る。
悩み事をフリーペーパーに書いて出す。
イベントをやって、表現をやる。
曝け出して、脱ぐ、で踊る。
建築現場で考え続けたかったから、現場で働いた。
ま、呑んでグチャグチャになって、相談する、とか。
最近は、裁縫!縫いまくり、で考える。
頭の回転は大したことない、のでいつもこんな風だ。
石山修武さんのW.S.が終わってほぼ一年、
「鶴の恩返し」が終わって数ヶ月、
コンクリートを少しづつ打つというアイデアが出てきて、やっと腑に落ちてきた。
無理っしょ!無理っしょ!と逃げかけていた気持ちを引き戻し、
岡啓輔やるべし!!に高めてきた。
でもリアルに考えると考えるほど、恐怖は更に高まっていった。
その頃良く「絶望を乗り越える事でしか希望を表現出来ない登山家のようだ。」と書いていた。
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