今日、石山友美さんの映画「だれも知らない建築のはなし」を観て来た。
友美さんが建築の学生だった頃知り合っていて、十数年会っていないのに、連絡をくれこの映画の試写会に招いてくれたのだ。
映画は、僕にとって十分に面白く、勉強になった。
最近の、表現をしない感じの建築の流れは、いささか欺瞞ぽく、胡散臭く感じているのだけれど。(これまでの作家、作品的なモノ、を古いモノとして攻撃し、とても簡単に次の正しい答えに辿り着いてる感じとか、、)
この映画の副題「建築家に未来はあるか?」という問いは、
磯崎新、安藤忠雄、伊東豊雄、ピーターアイゼンマン、チャールズジェンクス、レムコールハース…………ら、世界のビッグスター達にとっても、リアルでとても大きな問題であることを知った。
岡の簡単な現代建築史理解はこう
*誰もが参加可能な夢のモダニズムがダメになった。
*ポストモダン、デコンなど、哲学を引っ張り出したりして、新しい流れを作ろうとしたけど無理。難解度は増し、建築の共通言語がドンドンなくなる。
*大きな流れは、もう無く、個人個人が、それぞれの論を組み立てて、突き進むしかない。石上純也さん、中山英之さん、平田晃久さんとかみたいな感じ、。
*(個人個人が、頑張って)は、凄い難しい。ついていけなさ過ぎる。
311を境に「作らない建築家」とか。皆飛びついてる、、。
だから、僕の態度は
「易きに流されちゃダメだ、とても辛いけど困難な道行くべし!」だった。
だけど、今日の映画を観ていて、俺も⬆︎こんな事を言って終わってちゃダメだな。もう少し考えねばと。
「建築家が必要とされていない」という問題はリアルなのだ。
それと、別の話し。
今日、観終わって、石山さんに挨拶したら「岡さん、今度、イベントなどで話してもらえますか?」と言ってもらう。(内心、小躍り)
で、夜、風呂でプカプカしながら妄想してしまった。
「安藤忠雄と、コンクリートについて対談したいな、、、、そして、ゆくゆくは、一緒に何か作りたい、、、」
二人で、今現在、普遍性の可能性があるギリをついたコンクリートを作りたい。
妄想はタダ。
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