2015年3月23日月曜日

ひっくり返した事

立派そうな言い草で上手く誤魔化していた。
必然性の無い恣意的な表現をしないやり口を探す、などと言っていた。
そして三十過ぎの頃に、透明の建築を描いた。
褒められもした。
やっとこれくらいに筋が通った絵が描けたと、
「建築」に手が届いたんじゃないかと胸を撫で下ろした。
その頃は、様々なことで絶望していたから本当にうれしかった。
やっと小さな光にたどり着けたと思えた。

でも、長いこと考え続けた末にたどり着いたその絵には、まるで、ときめかなかった。
元気を吸い取られるような絵だった。
あ、ぁ、、
建築を作りたいと考えこの道に入ってきたはずなのに、必然性の無い表現を恐るあまりに、俺は、建築を消してしまった、、なんて馬鹿なんだ、、。

十代の頃に考えていた「世界マップ」によると、(真逆も可)であった。
フラーも素晴らしいが、真逆のガウディも素晴らしい。
岡理論によると、ひっくり返しは可能であった。
透明の建築をひっくり返すぞ。と決めた。
そして、よくよく見渡すと、透明な建築の方にはワンサカと人が集まっている。
こっちはこの人達に任せておけば大丈夫。
「世界マップ」によると、イビツな球体から、まん丸な球体を目指すべし。となっている。
ならば、不人気な側に進むべし、だ。

僕は、それまで考えてもいなかった側に、転向することにした。
見知らぬ世界と思っていたけど、「現場仕事」と「おどり」が案内してくれた。
「作ることの悦び」という高山建築学校で耳にしていたフレーズも思い出した。
子供の頃のワクワクした気持ちとかまで思い出した。

考え続けた世界の真逆の裏側にやって来たのだから、理屈も一個一個ひっくり返す。
恥ずかしいー!!と思っていた。
形を作る。
重箱の隅までほじって考え抜いて、建築を考える感じだったのに、
図面で考えない。
、、、、、
昔からいる住人のような顔しちゃいけない。
突然引っ越して来た異邦人のような新鮮な目で、こっち側の世界を観察しながらやっていくべきだ。そうしたらもう少し思考が深く掘れるはずだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿