2014年11月28日金曜日

タマシイ

大柴陽介くん(36)が亡くなってしまいここのところさびしい。
友達と言えるほど親密な付き合いがあったわけじゃないけど、町で会えば、ニヤッと近づいてきてくれ立ち話をしたし、大柴くんが大工をはじめてから、二度ほど作業についての相談の電話をもらったりした。
もちろん、大柴くんの音楽やパフォーマンスを何度も見た。大笑いしたり、大感動したりした。

サラリーマンをやめ東京に出て来て、小川てつオと出会った頃から、大柴くんのような表現に向かって真っ直ぐな、純真な、強烈なパワーで貪欲に突き進む人達に沢山出会った。
僕は、田舎者でボーッとしてて明確な望みも無かった。サラリーマン漬けで寝呆けた精神を、彼らを見ながらリハビリしていたんだろう。
大柴くん、凄みがあった。時に、純真無垢なタマシイの大暴走も見た。
打算が無く、素っ裸な、原始人のような男。
何年か前に電話で「大工出来るようになったら、岡さん一緒にチンポの形の家作ろう」と言ってきた。
笑って、ちゃんと答えなかった。
でも、昨日通夜で聞いた。(部族を作りたい)と大柴くんはいつも言っていたと。
本気だったんだ。部族の暮らす家は(チンポ)形じゃなきゃダメだったんだ。
一緒にチンポ作ったら、親友になれたはずだった。悔しい。俺は大柴くんともっともっと遊びたかった。

大柴くんが逝って、タマシイという言葉を考えていた。
心の真ん中にあって、それを変えちゃったら、その人がその人で無くなっちゃうような大切な部分。
その部分と共に生きるには、いつもその部分に耳を当て、更にそれをそっとしまっておくだけじゃダメで、表に出し鍛える必要がある。
表現者とはそんな者だと思った。
通夜には、そういう人達が沢山集まっていた。
今日の葬式もきっとそうだろう。
大柴くん、グッバイ!

1 件のコメント:

  1. はじめまして、千葉で金属造形で活動している秋山と申します。
    岡さんの活動に共感して、たびたびこのブログから元気をもらっています。ー心の真ん中にあって、それを変えちゃったら、その人がその人で無くなっちゃうような大切な部分ーこのタマシイの一語一語を噛みしめる思いです。
    今後の人生で反芻出来る言葉だと感じました。心が震える思いです。この言葉に感謝を込めて、コメントさせてもらいました。ありがとうございます。

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