2014年6月12日木曜日

建築欲

こんなのが建てたーい!
こんな建築が見てみたーい!
と妄想し、頭の中に甘いモノが満ち、ニヤニヤし、フンフン鼻息が荒くなってくる。
その為には、どんな努力でもしちゃうぜ!
みんなやろーぜ!!
ヨッシャー!!協力するぜー!!!

となって、世に残る名建築は出来てきたはずだ。

「しょうがねーよ、金無いし、時間無いし」みたいな感じで出来た建築なんて、その萎えた感じを世界に伝えるだけだろう。

性欲や、食欲を跳ね除けるくらいの「建築欲」を持った奇特な人のパワーが人類の何がしかを引っ張ってきた。
そういうことを子供の頃から信じてるんで、建築に頑張ってるんです、わたし。

ザハの新国立競技場、建築欲ビンビンな感じ、笑っちゃうほど未来な感じ、
団地や、森を壊さないで、出来ないもんか、。

しょうがない時間無いし、金無いしで、改修で、、。
は萎える。

ザハもどきも、寂しい。

作りたいーーーーー!!!!!!
建てたいーーーーー!!!!!!

そんな叫び声が聞こえる建築を、わたしはみたい。
言い訳だけのを作るんだったら、何も作らんで欲しい。


岡は、自らの建築欲に、正直に頑張って建てます。

雨、。

「何年もやっていて、モチベーションが落ちることないんですか?」
と、最近よく聞かれる。
そういう感じは全然無いので「無いですね」と答えるんだけど、
先日その質問の横にいた関根さんが
「岡さんは、作業が進まないと、出来ないと、沈んでいる」と答えていた。
そうなんです。
進まないと沈みます。
今年、エルニーニョ?とかで梅雨が長いと報じられている。
イヤーーーーーー!!!!!!

何か、やれる室内作業をやります。
今日は写真の整理に着手。

写真は、今の全景。
大きくなってきたな〜と我ながらうれしい。

2014年6月9日月曜日

ジャンカ補修完了

あんまり、シャープに出なかったけど、これでジャンカ補修完了。
こういう、出る系はもっと作りたいな。
今日は、晴れたり降ったり安定しない日だったので、あんまり道具を広げずに、インパクトとバールを使って一日中あちこちの型枠を解体しました。
あと、バケツに溜まった雨水を使って作業靴五足をジャブジャブ洗って干しました。
この数日の雨量は滅多にない位多かったのに、この雨はまだ梅雨前線の雨じゃないらしい。

2014年6月8日日曜日

雨、続きますね〜

梅雨は考えどき。
昨日は、ずっと沢山の人に再開発の相談回りをしていた。
「正面から堂々と正攻法でいくべきだ」
と数人に言われた。
そうだな、そういう方法しか通じっこない、ズルい手をやると必ず自分の根がズルくなる。腐る。
写真は雨のやみ間に型枠解体したトコロ。
メロンパンみたいで良い感じでしょ!

2014年6月6日金曜日

高山建築学校2014参加者募集中!!

「今年の高山の参加者募集のチラシの文章、岡さん書かなきゃダメです」
「岡!ステートメントとして書けよ、宣言文だ!」
とだいぶ前から皆に言われていて、文才激低の僕が数ヶ月ウンウン言ってやっと書いた文章です。読んでみて下さい。
それと、中村さんがホームページも作ってくれているので是非http://tass20xx.web.fc2.com
建築への希望を捨てずにがんばっている人!
どうか、どうか高山建築学校へ来て下さい!


「作ること」には答えすら無い。
そんな超難問にどう立ち向かえば良いんだ??
そこには素材のこと、作業のこと、環境のこと、様々なことが抽象化されず具体のままゴロゴロとある。
「モノを産み出す事とは?」など哲学的大問題も転がっている。自分の肉体とも向き合わなければならない。
「作ること」
こんなチョー難問に人生ぶっこむなんて!!!

スピードを旨としたモダニズムは、誰もが超難問「作ること」の深みにハマらないように、スムーズに建設が進められるように徹底し考えられた。
その中でも設計者と「作ること」を切り離すことは最も大きな効果をあげたのだと思う。(設計者と施工者の中間にあり、とても大切であったはずの「装飾」を「罪悪」と烙印を押し排除しちゃったり、、。)
建築を無理矢理分断し、考えることこそ重要だと煽り、「作ること」など劣位の問題として端に追いやる。
経済とタッグを組み、効率を武器にアッという間に世界制覇だ。
大ブームが去った後も不幸な分断だけはダラダラと続く。
分断された当然の結果として建築は力を失い、最早経済の奴隷と成り果てた。

「設計」は「思考ゲーム」に、「施工」は「つまらない肉体労働」にと最悪の形となり今に至ってしまっている。

でもそろそろこの不幸過ぎる分断をやめ「建築」を一つのこととして捉え直す時期に来たのじゃないか?

僕は「作ること」が「悦び」に繋がり、更に「希望」へと繋がっている事を知っている。そのことが明るく伝播することも知っている。
「作ること」とは、世界の生成に関わることだ。そこには虚無感や孤立から脱し、過去や未来へ繋がるヒントが沢山詰まっている。

一方、3Dプリンターとやらが出現した。
「思考」と「物」とが「手」を介さずに直接結びつき始めたことは、この時代にとても象徴的な出来事だ。
今までの流れだと建築のメインは確実にこっち側にダラける。
「作ること」をただの「面倒なこと」と片付けているお気楽クリエイター達にとっては夢のような時代だ。
ダメな職人に煩わされずにすむ、巨匠のように複雑で高度なデザインが私にも可能になると、頬を赤らめウットリしていることだろう。
僕は断言する。否定する。
見たこともない造形が出来たとて、そんなん大したことない!
それは本質から程遠い子供の遊びだ。
プリンターなんて、便利なコピー用として、模型用として使えれば十分だ。
命の道具としての建築には物足らなさ過ぎる。

僕らは、全身全霊を賭して建築に挑みたい。
小手先でチョチョイとどうにかしようなんてショボい了見は持ってない。

その為に、高山建築学校を、自らが持ちうる全ての力を注ぎ込み建築を作る事を学ぶ場とするのだ。
抽象化された資料を元に設計するような事ではなく、自然の中、具体のただ中に身を置き、全てを見、聞き、感じ、構想を練る。材料に触れ、道具に触れ、汗水垂らし、自らを晒し、捨て身で思考する。
まるごとの建築と、まるごとの自分のとっくみあいだ。
無限の情報の中で、時に思考は混乱するだろう。それでも一筋のわずかな光へ照準を合わせ、勇気を持って進む。それしか無いのだ。ビビっても進む。
仲間もいるんだ、大丈夫!
いつの日か、泥の中から自らの建築を掘り起こす事を夢見て!

建築を思考ゲームのように作るやり方にはもう飽き飽きだ。
つまらない労働の末に出来続ける何も感じない死体のような建築にはもうウンザリなのだ!

高山建築学校を拠点とし「建築を手で考えることを」学び直し、世界に伝える。

高山建築学校のこと

数年前、高山建築学校があまりにいい加減でグチャグチャと成り、僕の手には負えない状況になり、ここまでかと思い閉校することを半分決意しました。
でもここ数年で、学生時代だけじゃなく、卒業してからも長く高山と真剣に付き合おうとする若い人たちが増えてきて、少しづつ状況は好転し、最近は新しい高山建築学校に脱皮した感じがあります。
去年で、長く続いていた法政大学の高山建築学校事務局も終わり、会計の記録その他の書類が全て僕の元にやってきました。

倉田先生が死んだ夏の高山に集まった全員で二日間話し合いその時決まった事は
「学生主体で高山建築学校を続ける。岡と吉江さんでフォローする。上手く行かなくなったらそこで終わり。高山の資金で母屋を解体して遺族にお返しする」というものだったのですが、
その柱、「学生主体」というモノがここ数年でとうとう終わってしまったのです。
吉江さん、岡崎さん、夏堀くんなど、法政関係で近くにいる人達にはその事を確かめ、それで良いという事でした。
本当は、話し合った全員で「学生主体」という体制をやめて良いか?確かめる必要があると僕は思っているのですが、それをする器量も無く、、すみません。
とりあえず僕のブログに書いてみました。(高山出身者で読んでくれてる人はそこそこいると聞いたので)
意見がある人は言ってください。
もし、重要な意見が出て来たら、話し合う場を作ります。