2015年1月14日水曜日

毛生え蛙

TVの取材がくると、とりあえず「再開発の話し」はする。
バラエティな番組で、わざわざその事を取り上げて欲しいとは思っていないんだけど、
こういうゴチャゴチャした問題がある建築だ、と。
政治のことでもあるし、スポンサーとの関係もあるだろうし(以前、報道番組で取り上げられた時、直後のCMが意図したかのように、今、再開発で交渉している企業のモノだった)
と、僕なりに気づかっての事だ。
でも、だいたいは、ちょっと面白いネタとして使われる。
昨夜のマツコデラックスさんの番組でも、軽く、再開発の事に触れていた。
すぐに心配の声がネットに上がったし、友人から心配しての電話もあったし、訪ねて来て励ましてくれる友人もいたりすると思う。

ので、今の状況を書いておこうと思います。

蟻鱒鳶ル解体という話しは、無くなっています。(100%とは言えないけど、、)
だから、ちょっと安心して下さい。

代わりに出てきているのが、曳家案。
蟻鱒鳶ルを壊さずに、そのまま移動するということ。
聖坂沿いに、緑道を作りたいそうで、その分 数メートル下げさせて欲しいと言われていて、
その事に同意して欲しいと言われていて、考えている。という状況です。

もちろん、動きたくない、ここにいたい。
という思いは大きい、、。

まるで植物が生えるように、土地に根を張り、植物が育つように空に伸びてきた蟻鱒鳶ルを、その土地から引き剥がすこと。
大きな樹の移動が難しく、細心の注意をしても枯れてしまう事があるように、蟻鱒鳶ルも、ガクンと元気を無くし、死んでしまうかもしれない。

土地を見ながら、景色を見ながら決定してきた形態が意味を失くす。

大切にしてきた意味を捨ててまで、移動する意味は何か?
考えなきゃいけない。

ひとつには、(移動してでも生き残るたくましさ・しぶとさ)のようなモノを、最初から蟻鱒鳶ルの機能の一つとして組み込むということ、はある。

形態は、まず、その土地との結びつきを大きな要素として産まれたが、それはそれだけの事で、その意味が失くなっても、それ以後の新たな状況が新たな形態、、意味を付加していく、、、。

200年保つ!

即興(=次々の状況を読み取りながら変化していく)で作る!!

を旨としている蟻鱒鳶ルの宿命的な課題か、、。
(200年間、形態は固定されず、その都度、状況に合わせながら即興的に、変化していく、、永遠に完成せず、、、)

今、書きながら考えてるんだけど
「もっともだ」という気持ちも大きくなってきた。

なにか、一体感のあるデザインでは無く、とってつけたような、気まぐれな感じのデザイン、完成度の低いデザインは、この事の為だったか、、。

そんな気がしてきた。

もっと考えます。

夜中、なぞの毛生え蛙(無毛の蛙なのに、たった数秒で身体中から毛を生やす、厳密には毛ではなく、蜘蛛の糸のような成分で、静電気でワサワサ立っている、、非実在・岡空想)を投げつけられる夢を見て、怖くて起きてしまい、とうとう寝れそうにないので、このブログ書きました。

今日は一日眠いです、毛生え蛙のせいです。

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