岡啓輔設計 蟻鱒鳶ル(アリマストンビル)を訪れて
東京、三田。閑静な住宅が建ち並ぶ駅からほど近い坂の途中に「ソレ」は現れた。ソレと表現したのは外観からソレが建築であると、頭で理解するまでに時間が掛かったから。言葉で表現するなら、バリケードで囲まれた城壁のよう。コンクリートの城壁は身体をくねらす様に踊りながら、上空へと手を伸ばしている。その身体には様々な形の無数の装飾品の数々。今まで色々な建築を見てきましたが、この建築は私の建築という理解の枠を遥かに越えていました。
通りから中を覗くと人の影。軽く挨拶する。どうもと現れたのは、この建築物の施主であり、設計者であり、施工者である、岡啓輔さん。岡さんは、この建築を自ら考え、資金と時間を使い、自分の手でこつこつと作り続けているのです。セルフビルドといえば木造ではたまに見ることはあるけれど、鉄筋コンクリート造を自らの手で作っている人とは初めて会いました。大きな重機を使わずに自力建設を行なうため、手で扱える範囲、巾数m程度、高さ70センチづつ、コンクリート打設しながら施工を進めていると。毎回コンクリートが打ち上がる度、少し離れて眺めてみては、次はこうしようかああしようかと悩みつつ、その先の形状を決めていくという。全体の出来上がりをイメージしてそこに建築をまとめていくのではなく、今そこにある形と対話しながら作っているそうです。岡さん自身、全体像がどこに向かっていくのかは、はっきりとはイメージしていないといます。つまり、施工と同時にライブで設計作業を進めているのです。ここでは、作ることと、考えることが同時に起きています。「作ること=考えること」こんな至極当たり前のことなのに、普段の設計業務に追われていると、そんな当たり前のことさえ忘れてしまっている自分がいました。今の設計業界では、作ること(施工者)と考えること(設計者)は別の仕事であると捉えられている感があります。
また手で扱える範囲という施工条件を最大限活かし、この造形は導き出されています。今そこにある道具と技術から導き出された形。一回の打設量が多けれ ば、こうはいきません。こつこつと作ることで可能となる形。部分部分で異なる造形が現れているのは、この工法と掛ける時間の成せる業です。
話は変わりますが、岡さんは舞踏家という顔も持っています。ほぼ日で岡さんはこのようにコメントしています。(引用→) 「それに対して踊りは、思ってから踊るのではなく、思う前に身体が動いていないといけません。思考を追い越すこと、そこが踊りの面白いところなんです。だ から建築も、頭の中のイメージと出来上がるものの距離を縮めることができれば、もっとよくなるはず」この文章を読んで、なるほどと合点がいきました。そう か、岡さんにとって、踊ることと、建築することは同じことなんだ、と。言い換えてみると「思ってから作るのではなく、思う前に身体が動いて作り始める。建 築が思考を追い越すこと。」これが重要だと。この文の最初にも書きましたが、外から見た建物の姿がまるで踊っているように見えたのは、あながち間違いでは なかったのでしょう。「踊るように、建築する。」
今まで色々な建築を見てきましたが、今回、私的にはかなりの影響を受けました。蟻鱒鳶ルの毒にあたったというか。忙しい中、案内をしていただいた岡さんに感謝いたします。次はただ見学するのではなく、ぜひ参加したいと思います。作業着を着て伺いますので。
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