2013年6月10日月曜日

大きなガラス窓

大きなガラス窓

オープンハウスというのがある。
建築家が、完成した住宅をお施主さんに引き渡す前に一日だけとか、友人や知人に公開するというモノだ。
建築家の友人・知人などほとんどいないから、僕はそういうのに行く事はほとんど無いのだが、昨日は珍しく中山英之さんの作品を見に行った。
JRの駅から20分も歩く場所にも関わらず、建築をやっているであろう人々が沢山集まっていた。
行くと、友人の円酒が待っていてくれた。円酒はこの物件の構造担当者だそうで、色々と説明してくれありがたかった。(トンを越すような大扉を取付ける苦労とか、、、)

見てる時はボンヤリと「新しい建築のあり様を模索する建築家の覚悟凄いな〜、このアスファルト道路の下に地下道が在るのか、くすぐるな〜」とか思ってただけだし、夜、「建築と日常」の長島さんと話してても(ベルクに来てくれた。このオープンハウスを教えてくれた)、そんな風な感想しか話せなかったんだけど、夜中、目が覚めてしまう。

ほんの少しわかった気になったので、ipadにもにょもにょ書き出す、、。

建築家の設計した住宅に多いのだが、道路際にドーンと大きなガラス窓を開けるだ。違和感を感じる「ここに暮らす家族は、こんなに自分の家の中身を開けっぴろげに出来るほどの精神の持ち主なのか?芸術家か?哲学者か?修行者か?家族全員がそうなのか?」と。
答えは大抵NOで、その窓はカーテンや何かでガッチリ閉ざされて、住人は、覗かれる事に恐怖を感じながらビクビク暮らすことになる。

ま、あ。設計した人がダメなのだ。設計者が、建築で表現したい何かが無いので、住民の有りもしないオープンマインドにこじつける。
「家族の楽しげな夕餉のひと時が、この大きなガラス窓を通して道ゆく人々に伝わる、、」アホか!んなこたーない。

僕が高円寺で暮らしていた時、アパートの窓が大きく、中が全てスッポンポンに見えていた。最初は、普通に抵抗はあったけど、ジキに見られることに抵抗が無くなり、風呂上りタオルいっちょで、窓際でダラダラ暮らせるようになり、その事が逆に、面白くもなり、岡画郎なる珍妙な事を初めたりした。
家内と、外との意識が欠落してしまった僕は、パジャマで電車に平気で乗れるような男になっていた。(今は乗りません)
大きなガラス窓ってのは、人間をそんな風に変えてしまうんだぞ!
森の中のファンズワースじゃないんだ!
大きなガラス窓は、過激なほどの力を持ってるのに、ボンヤリと無責任なことしちゃいかんのだ。

で、中山さんの作品。
このあたりの事なのだ。(道路と家の関係)
大扉を閉ざしてしまったら、その家は道路からほぼ閉ざされる。外部に向かって窓は一つも無かったと思うし、アトリエ棟の外壁が、波板ガラスで、ボンヤリと中の雰囲気が伝わるくらい。
このくらいの閉ざした感じが、ここのお施主さんの、日常の正直な感じなのだろう。
でも、デザイナーである施主が、何か、フンと、気が上がった時には、両側の大扉がドドーンと開けられる。時には、アトリエが公開され、個展などが開催されるのかも知れない。
アスファルトで作られた敷地内の道は、そのまま一般道と繋がり、人々を自然にスルリと誘う。

住人が、道路との関係、街との関係を自らで調節しながら暮らす。これは、楽しい事だ。

と、このくらいの事を思っただけ。

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