十数年前、蟻鱒鳶ルの基本的な考えを絵にまとめ初めて他人にプレゼントした時に、
今日のあなたの絵130点あげますよ。
百点越えです、十分でしょ、
だけど、あなたが、語っていること、語ろうとしていること、それはとても高い問題意識なんです。普通は誰も手を出しません。
千点満点の問題意識なんです。
130点じゃまるでダメなんです、、、、。
当時、東大の教授をされていた建築家にそう言われました。
何もわかりません、、。それしか答えられなかった。僕は、ただ、ガタガタで、泣いていたと思う。
未だ、その千点満点の問題意識を僕は言葉に出来ていません。
僕は、あの日から、わからぬままスタートし、わからぬまま進んでいます。
これで良いのか?これで良いのか?と右往左往しながら、心に手を当て、本気か?本気か?嘘は無いか?欺瞞は無いか?
理屈も半端にはこねますが、基本は、こんなやり方一本で、ここまでやって来ました。
再開発よりも何よりも困難なラスボスは、きっとこの問いです。
ビビり上がります。
自分が無意識に口にしていた千点満点の問題意識に近づけてるのか、どうなのか。
建築が目指すべき「宗教」も「イデオロギー」も無くなってしまった。
次に据えるべき「………」はとうとう見つかりそうも無い。
目指すべきモノが無いのだから、僕は、建築の最終像を描かずにスタートする。
新しい神などいらない。
そう強がってみる。
怖くて怖くてたまらないが、そうなのだから、そうする。
大きく目指すべきが無いのなら、微分して小さく見つめる。日々の作業に、集中し、そこで起きていること、そこで見えたこと、そこで考えたこと、そこで感じたことのみを大切なこととして作り続ける。
(日々の悦び)を大切なものとして建築に刻んでいく。
昨日までの過去を受け、今日を作り、それは明日へと繋がっていく。
あまり理解出来ていないけど、オートポイエーシス的、自動生成のようなやり方だ。
細胞一つ一つが、予めなるべき姿を持っていなくても、周りの細胞の動きを見つつ、自分のなるべき姿にちょっとづつなっていくようなやり方だ。
蟻鱒鳶ルは、IPS細胞のように、周りの都市を見ながら、形態をきめようとしている。だけど、再開発問題で、周りがどうなるかサッパリわからなくなっている現状、もしかして何処かに移動させられるかも知れないという現状、自らどうすべきかを、見失っている状態なのだ。
道理から言って仕方なしだな。
僕は、わからぬまま、自信の無いまま、こういう風に考えて蟻鱒鳶ルを作ってきた。
でも、先日、若い友人川染喜弘氏の3時間に及ぶ、凄まじいパフォーマンスを観て確信した。僕は、この手法を明確に打ち出して進む。
これが千点満点な問題意識かは知らない。
知らないが、かなりの大物登場である。
ビビるぜ、ビビるけど登場だ、今後ともヨロシク!!
これで、梅雨があけた。
A先生に謝りにも行こう。
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